御嵩村に慶長7年(1602)以降中山道の宿が置かれた。御嵩村は「濃陽志略」では家数160・人数842。 宝暦12年()では家数190ほど・人数720ほどとある。 天保14年(1843)の中山道宿村大概帳によると宿内町並4町56間、家数66・人数600。本陣1、脇本陣1、旅籠28、問屋1。町は東から上町・仲町・下町とつづき、本陣・脇本陣・問屋場は下町にあった。本陣は野呂家が勤め、隣の脇本陣は十兵衛氏が勤めていた。 西端に大寺山願興寺があり街道が鉤型に曲がっている。御嵩宿は願興寺の門前町として栄えていたところを宿にしたものである。 今町並はあまり残っておらないが、脇本陣跡には中山道みたけ館、その隣の本陣の建物は明治10年に建て替えられ、その隣に本陣野呂家の分家の竹屋が「商家竹屋」として公開されていた。 古い町並としては旧本陣辺りにみられ、中2階建ての平入りの商家の建物が僅かに見られる。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 1990年 岐阜県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989年 中山道歴史散歩 有峰書店新社 斎藤利夫 1997年 |