美濃加茂市太田本町の町並 
太田本町
地図


太田本町の町並

  美濃加茂市太田本町は岐阜県南部、美濃加茂盆地のほゞ中央に位置し、木曽川右岸低位上に立地する。
江戸時代の太田村ははじめ幕府領で大久保長安支配であったが、元和元年(1615)からは尾張藩領となった。
村高は「慶長郷帳」1,939石余、「正保郷帳」では1,938石余、「天保郷帳」「旧高旧領」共に1,939石余。
太田村には中山道の難所の一つで太田渡しと呼ばれる渡船場があり、太田宿が置かれていた。飛騨街道や郡上街道も分岐する水陸交通の要衝であった。慶安4年(1651)には人数1085人、「濃州徇行記」では家数389・人数1,499、馬27。太田宿には川並番所が置かれていて、木曽川の川船監視にあたり、享保16年(1731)には御免六斎市がはじまり、天明2年(1782)尾張藩の代官陣屋が開設され、東濃地方の中心地として栄えた。 
天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると町並みの長さは約五町で、家数118・人数505、本陣1、脇本陣1、問屋3、旅籠20。東から上町、中町、下町の3町からなり、町の端には防御用の寺院(祐泉寺)が配置され、遠見遮断の枡型の道路になっている。
宿場の中央の中町には、本陣福田家とその斜め向かいに、脇本陣の林家があったが、現存するのは脇本陣の林家住宅(国の重要文化財)で、本陣は表門を残しているのみであった。
林家の主屋は明和6年(1796)に建てられたもので、切り妻造り中二階建、本卯建が上がっていて袖壁付き、平入り、銅板葺、白壁で一階も二階も格子だが、荒い格子、中位の格子、細い格子とバラエテイに富んでいる。220年余りにわたり修復を重ねながら、今日まで保存されてきた努力には敬意を払いたい。
町並は千本格子や虫籠窓を残した家屋、本卯建を揚げた家も見られる宿場町当時の面影を残した町並が続く歴史の町である。
木曽川は川幅が広いうえ、水流は急で渡船には困難がつきまとった。太田の渡しは江戸時代に「木曽のかけ橋、太田のわたし、碓氷峠がなくばよい」とうたわれるほど、中山道の難所として知られていた。                
町並み指数 40
参考文献
  岐阜県の歴史散歩  山川出版社  岐阜県高等学校教育研究会  1994年
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会 1989年
  岐阜県の地名  平凡社  下中直也  1988年  


太田本町の町並

太田本町の町並

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