江戸時代は岩科村一つとして扱われてきたが、明治25年から大字岩科北側・岩科南側となった。 岩科村は江戸はじめは幕府領、享保13年(1728)上野国館林藩領、享保18年(1733)幕府領、元文4年(1739)再び館林領、延享3年(1746)遠江国掛川藩領となる。 享保11年(1726)の差出帳によると家数310・人数1470で、大麦・小麦・大豆・小豆・栗・稗・芋・大根・木綿・タバコなどを栽培し、農間余業として薪伐・縄ない・莚織・葛根掘りなどが行われていた。明治6年に岩科学校が開校している。 今 この地の集落を歩くと、母屋も土蔵も全てナマコ壁で覆われた家屋が多く散見できる。土蔵のみマナコ壁になっている家もあり、なかなか多彩なナマコ壁だ。壁の耐久性を良くするために考案されたものだろうが、南伊豆地方に集中的に存在するのはどうしてだろうか?。 町並とは異なるが、この地にある旧岩科学校を訪ねた。校舎は国指定重要文化財。この地にある旧小学校、腰までナマコ壁が使われ、2階の客室には入江長八の見事な鏝絵の欄間があった。 そして場所は違うが大沢の依田家を訪ねた。江戸時代中期の大きな構え建物で大庄屋であった。母屋もいろんな土蔵もナマコ壁が多用されていた。今は大沢温泉の一部として開放されている。 静岡県の歴史散歩 山川出版社 静岡県日本史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 |
岩科北側の集落 |
岩科北側の集落 |
岩科北側の集落 |
岩科北側の集落 |
岩科北側の集落 |
岩科北側の民家 |
岩科北側の民家 |
岩科北側にある旧岩科学校 |
大沢の依田家(現大沢温泉) |
大沢の依田家土蔵群 |