川辺町は岐阜県の中南部、木曽川の支流の飛騨川の下流域、濃尾平野の北端にあたり、同平野と飛騨山地の接点で、中川辺は飛騨川右岸の平坦地に位置する。 江戸期は旗本大島氏知行地。飛騨川右岸の川辺荘が三分して、その中心部となったため中之場番とも川辺中之番とも称した。 村高は「慶長郷帳」では「中番」と記し1,631石余、「正保郷帳」でも「中番」と記し1,424石余、「天保郷帳」では中之番村847石余、「旧高旧領」では中川辺村と記し847石余。貞享3年(1686)村由緒書の家数188・人数816。 大島氏は濠をめぐらした居館を構え、東西162間・南北152間の屋敷を持ち、その他侍屋敷が19軒あった。天明元年(1781)の村絵図では町屋が整然と並び、上ノ町・中ノ町・天王町・横町・下町などがあり、小城下町」を形成し、美濃・飛騨を結ぶ交通の要衝として発展した。 今、古い町並は川辺ダム湖(飛水湖)飛騨川の右岸、旧飛騨街道に沿って展開している。江戸期は小城下町であったようだが、その名残は殆ど残っていない。 中川辺は飛騨川の右岸段丘上に形成された町だが、1936年に川辺ダムが完成し、飛水湖が出来たので今は全くの平坦地になっている。 旧飛騨街道がそのまま商店街になったようだが、商店街も大きく発展しなかったので、古い伝統的な様式の商家や民家が旧街道沿いに建ち並ぶ。殆どは明治期以降の建物と思われる。 旧街道から少し外れた所に造り酒屋さんが健在だった。この町のランドマークだろう黒漆喰塗り込の土蔵を持った主屋に杉玉が揚げられていた。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 岐阜県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989年 |
中川辺の町並 |
中川辺の町並 |
中川辺の町並 |
中川辺の町並 |
中川辺の町並 |
中川辺の町並 |
中川辺の町並 |
中川辺の造り酒屋 |