海津町の東は木曽川・長良川、西は揖斐川に挟まれたデルタ地帯で海抜0.5mから2mの平坦な低湿地で典型的な輪中地帯である。 慶長14年(1609)に、尾張藩が木曽川の左岸の犬山から弥富まで高さ10m〜15mの大堤防を築き、尾張側に流れていた支流を全て締め切った。この大堤防を「お囲堤」といい、これにより美濃側が洪水の被害をもろに受けることになった。美濃側も治水工事を行ったが、江戸前半の145年間に110回余りの大洪水に襲われた。十年一作とも云われ、10年に一度平年作があればよしであった。 輪中(わじゅう)というのは、木曽川・長良川・揖斐川に囲まれた低湿地の人たちがこれら大小河川の洪水から自分達の生活を守るために作った一種の水防組織から発達したものである。 この輪中は享保年間(1716〜36)には東西40km・南北45kmの地内に大小80余りの輪中があった。 高須には高須輪中があり、高須の城下町を中心に平田町全域に及ぶ大輪中で108ヶ村から成り、その輪中を囲む堤の長さは23.5kmにも及んでいた。 高須の民家の建物は、明治24年の濃尾大震災後の建物が殆どであるので、二階建てが多いが、ここの2階建ての建物も2階の天井部が頑丈に造られていて、万一のときそこに逃げ込んだり、大切なものを保管したりした。 また高須の集落も周りの田んぼより、2mほど高くなっている。その上、各屋敷地は少しでも高くするため石垣を積んでいるのが多い。また、伊吹おろしを防ぐため、屋敷地の北西側には防風林を巡らしている家も多くあった。 豪農とか庄屋格の家は、普通の家より更に敷地を高くして家を構えている。 岐阜県の歴史散歩 山川出版社 岐阜県高等学校教育研究会 1994年 民家巡礼西日本篇 相模書房 溝口歌子・小林昌人 平成6年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
平原の民家 |
高須町の民家 |
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高須の民家 |
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