伊東は日本有数の温泉観光地として知られている。江戸はじめは幕府領であったが、寛文3年(1663)以降は村ごとに支配関係が異なっている。 慶長10年(1605)にはじまる江戸城の修築に際して、築城石の大部分がこの伊東から伊豆石として切り出されている。また西洋型帆船の建造がこの地の海岸地区で行われている。徳川家光の御座船で超大型の安宅丸も寛永9年(1632)に伊東海岸で建造されている。 また、海上交通を通じて早くから江戸の消費物資の供給地に組み込まれ、とくに魚介類と薪炭の積み出しが多かった。 温泉は江戸時代はじめより大名湯治なども見られ、伊東の湯として慶安3年(1650)江戸城へのお汲湯が献上されて、江戸後期には豆州湯ヶ原の湯の名で樽詰めにして江戸に出荷されている。 しかし、温泉としての本格的は発展は明治以降で、特に国鉄伊東線の開通と終戦を機に、温泉を中心とする観光産業が盛んとなってからである。 明治15年版の諸国温泉遊覧記には「和田の湯」と「松原の湯」が載る。明治中頃より個々の湯名よりも伊東温泉の名が一般的となった。この頃から温泉掘削が盛んとなり、伊東大川沿いを中心に別荘や旅館が増えはじめた。 そして昭和25年国際観光文化都市の指定によって、温泉を中心とする観光産業が盛んとなり、昭和36年の伊豆急行の開通で伊豆高原方面のリゾート開発が進み、その玄関口の伊東温泉も活気に溢れる時代を向えた。 静岡県の歴史散歩 山川出版社 静岡県日本史教育研究会 1997年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 静岡県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2000年 |
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