下呂市金山町は岐阜県中央部、飛騨川と馬瀬川の合流点一帯で、美濃国と飛騨国の境の町である。町域はかっては飛騨国益田郡、美濃国加茂郡・郡上郡・武儀郡からなり、近世後期には益田郡6ヶ村・加茂郡1ヶ村・郡上郡12ヶ村・武儀郡4ヶ村から成っていた。 そして金山町金山は旧武儀郡金山村で飛騨国、飛騨川と馬瀬川の合流点の西側の段丘上に位置している。 江戸はじめは幕府領、元和元年(1615)から尾張藩領。「慶長郷帳」の村高835石余、「元和領知改帳」「正保郷帳」ともに606石余。明暦覚書では村高709石余、人数736、馬79。「濃州徇行記」によると家数252・人数1,068、馬48・牛7とある。 当地は飛騨・美濃を繋ぐ交通・流通上の要衝にあたり、近世には飛騨川沿いに飛騨街道(益田街道)が通り、金山が継立場(宿)であった。金山宿から馬瀬川沿いに北上する和良街道(津保街道)、西方上有地(現美濃市)え向う道があった。 「濃州徇行記」によると、東西5町・南北5町で町並が続き、商家が多く中程に金山役所、他に役所付問屋・茶問屋・高荷問屋などがあり、飛騨から送られる木材・茶・炭・薪・油・酒・味噌などを扱っていた。 当地金山は飛騨からの木材が陸揚げされる金山湊であり、当地からは川下げされたり、陸送されたりしており、嘉永3年(1850)に質屋5軒・商人宿12軒が営業していた。 今、町並はJR高山線の飛騨金山駅周辺の金山町大船渡と金山橋を渡った金山町金山で市街地を形成している。中でも古い町並は金山町金山の旧飛騨街道沿いに展開していた。川湊のある在郷町として機能していた名残は町並にも表れている。旅館(旅籠)や商家の建物の伝統を受け継いだ明治期の建物が連なる光景は立派な古い町並。旧飛騨街道に沿った町並の北端にある造り酒屋さんも健在であった。 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 岐阜県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989年 |
金山町大船渡の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の町並 |
金山町金山の造り酒屋さん |