下呂市萩原町萩原の町並 
萩原町萩原
地図


萩原町萩原の町並

 下呂市萩原は岐阜県中央部、益田川左岸流域に位置する。東は段丘上の桜洞および上村に接し、西は益田川に面した低地帯に町並がある。
天正14年以降金森氏領、元禄5年(1692)以降は幕府領で幕末を迎える。
元禄検地の村高257石余、家数89。延亨3年(1746)家数120。宝暦2年(1752)の宗門帳では家数134・人数494。「天保郷帳」の村高294石余。明治2年の村明細帳では村高292石余、家数116・人数591。
萩原には益田街道(飛騨街道)が南北に通り、金森氏領時代より宿場として繁栄していたようだが、本陣などの公用宿舎は無く、幕府役人などの公用通行の宿舎は当宿で一番大きな家の戸谷権十郎宅が充てられた。幕府領となってからは問屋場をおいて人馬継立を行っていた。
高山に入った金森氏によって築城された諏訪城の跡は、今の駅前通りの南側の諏訪神社の敷地である。元和5年(1615)の一国一城令により、廃城となったが、金森氏の参勤交代のための諏訪旅館が置かれた。
元禄5年(1692)金森氏の出羽国への移封の後は幕府領となり、諏訪旅館も取り壊されてしまった。
人馬継立業務は幕末まで続けられ、問屋役の熊崎家が世襲した。
今、古い町並が旧飛騨街道沿いに残っている。今の飛騨街道はバイパスとして益田川に沿って造られたので、旧からの飛騨街道筋の町並がそのまま残った状態である。
造り酒屋や味噌屋さん・旅籠だったような伝統的な建築様式の家屋が旧街道沿いに並んでいる。切妻造り2階建て平入が基本のようで、袖壁を備えた家は少なかった。
造り酒屋さんが元気なようで、観光バスに乗った観光客がこの造り酒屋さんへ酒蔵見学に入っていった。
町並指数  40
参考文献 
  角川日本地名大辞典  角川書店角川  日本地名大辞典編纂委員会  昭和55年
  岐阜県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1989年

萩原町萩原の町並

萩原町萩原の町並

萩原町萩原の造り酒屋

萩原町萩原の造り酒屋

萩原町萩原の町並

萩原町萩原の味噌屋

萩原町萩原の町並

萩原町萩原の町並

萩原町萩原の町並

萩原町萩原の町並
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