富士宮市の町並み
大宮町・宮町・宝町
地図


大宮町の町並
 富士宮市は富士山の南西方に広がる高峻な裾野台地、潤井川中流左岸に位置する。
豊富な湧水は現在も製紙工業が盛んな一画である。富士宮市となったのは昭和17年で、それまでは大宮町と呼ばれていた。
江戸はじめは幕府領であったが、その後幕府領・甲斐甲府藩領・旗本領・寺社領などに分割されていた。
富士山信仰の中心であった大宮浅間社(現富士山本宮浅間大社)の門前町として、また右左口路(中道)の宿駅として発展した。
享録・天文頃(1528〜54)の大宮には、富士参詣の道者が宿坊する坊が30余坊あったといい、富士浅間社の門前町として賑わっていた。
天正18年(1590)豊臣秀吉は大宮郷のうち高332石を大宮浅間社の大宮司以下の社人・社僧に安堵しているが、他にも多く安堵していて、翌年19年には935石が大宮浅間社領であった。
元治元年(1864)の大宮町西町絵図と明治初年の大宮町絵図によると、神田川以東の幕府領の町場(大宮東町)は右左口路沿いで、東から東新町・新宿町・青柳町・連雀町・中宿町・神田町・神田橋下宿・伝馬町があった。浅間社領分の大宮西町は神官・社人が居住した社人町・西新町・上立宿町・下立宿町・田宿町があった。
「駿国雑志」には大宮町は新宿・西新町・青柳町など18町からなり、家数900とある。町名は時代により異なるが、幕末には神田川以東を大宮東町、西を大宮西町といい大宮両町と称したと云う。
大正2年富士身延鉄道の開通により、浅間大社の門前町、富士登山口、甲州への交通要地として栄えてきた大宮町は商業の中心地になった。
明治24年の家数1,817・人数8,396、大正9年の家数3,547・人数17,713。昭和7年の家数4,687うち農家数は1,528で約30パーセントであった。
古い町並みを求めて訪ねた。しかし浅間大社の前の主要な道路が拡張整備されて、道路が広くなり、電柱などが撤去されて綺麗になっていたが、古い町並みはことごとくなくなり、味気ないものになっていた。伝統的な様式で建てられた家は大宮町に僅か残されていただけだった。
町並み指数 20
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会
   静岡県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  2000年


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