恵那市大井町の町並 
大井町
地図


大井町の町並
 大井村は古代東山道の大井駅が置かれ、近世には中山道の宿場町として栄えた所である。
江戸初期は幕府領であったが、元和元年(1615)から尾張藩領となり明治を迎えている。
中山道の大井宿は江戸から46番目の宿場であった。分間延絵図によれば、東から西に向かう中山道は横町川の板橋を渡って宿に入り、一つ目の角を南に折れて横町となり、ここに本陣がある。また西に曲がった所(二つ目)が本町で、問屋場が北側に、もう一軒の問屋場と脇本陣が南側に並ぶ。北に折れて(三つ目)竪町、西に折れて(四つ目)茶屋町、南に折れて(五つ目)橋場と続き、西に折れて(六つ目)北流する阿木川を板橋で渡るのが大井宿の町並であった。
それぞれの町は街道が直角に曲がる六ヶ所の枡形によって区切られ、整然とした町割りを形成していた。
天保14年(1843)の中山道宿村大概帳によると、町並は6町30間、家数110軒、人数466人、本陣1、脇本陣1、問屋5、旅籠41。
大井宿は中山道と名古屋・伊勢に向かう下街道の分岐点で、中山道の旅人のほか、伊勢参り、尾張商人、信州から牛馬荷物も多く往来し、諸商売が繁盛していた。
本陣は井口家から林家に移った。昭和22年の火災で主屋は焼失したが、本陣門・老松・庭園が残り、往時の面影を伝えている。本町には長く庄屋を勤めた古山家(ひし屋)の建物が残っているが、脇本陣は高木家が問屋も兼て勤めていたが、建物も遺構も残っていない。明治天皇行在所となった家も健在であった。竪町の古屋家は天保元年(1830)から20年間ほど庄屋を勤めた家柄などの家が残っていて、宿役人の家、木賃宿、商家の案内板が随所に立ち往時を偲ばせている。
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参考文献 
  角川日本地名大辞典  角川書店角川  日本地名大辞典編纂委員会  1990年
  岐阜県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1989年
  中山道歴史散歩  有峰書店新社  斎藤利夫  1997年

大井宿本陣の門と松

大井町の古山家(ひし屋資料館)(庄屋を勤めた)

大井町の町並

大井町の町並

大井町の林家(宿役人の問屋を勤めた)

大井町の町並

大井町の町並

大井町の古屋家(庄屋を勤めた)
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