堺市の近代建築 1

旧丹治煉瓦製造所事務所
永楽邸
明治33年建設
レンガ造り2階建て
堺市永代町1丁目1

明治3年に丹治利右衛門が大阪の民間としては最初にレンガ製造をはじめた。
当時の事務所が、今個人の住宅として利用されているのです。

旧丹治煉瓦製造所倉庫
藤本商店
明治末期から大正初期の建築
レンガ造り平屋建て
堺市永代町1丁目2

上記の丹治煉瓦製造所の倉庫であったもの。
寄棟造りのこの建物は綺麗な外装のレンガ造りで、最近建築されたものと錯覚しそうなほど。
旧丹治煉瓦製造所レンガ塀
堺市永代町1丁目1
この丹治煉瓦製造所のレンガ塀は、多分、レンガの焼いた時の失敗製品を積んで塀にしたものであろう。
今では高温での焼きむら製品は好んで、使われるが、当時はそんなインテリア感覚が無いもので、販売できず、自工場の塀に利用したのだろう。
見事な透かし装飾のあるレンガ塀はこれだけでも貴重な遺産である。何時まででも保存を願いたい。
旧大阪織物跡・アーチ門
明治29年建築
レンガ造り
堺市七道西町12

旧大阪織物(株)の建物が取り壊さた時に、マンション(サニーハイツ)の敷地内で保存されたもの。
石川家住宅
是枝医院

昭和6年建築
木造4階建て
設計 是枝近有
施工 村田元蔵
堺市百舌鳥梅北町

ドイツの絵葉書のコレクションをしていた医師の是枝近有の設計で、患者の宮大工 村田元蔵が建てたもの。
とても昭和6年に建てられたとは思えない建物。
  旧大阪窯業(株)事務所
国枝医院
明治29年建築
煉瓦造り
堺市大浜北町2丁目5

明治21年に大阪窯業(株)が煉瓦製造に着手し、明治21年に堺分工場が造られた。この周辺に広大な大工場を持ち、ホフマン式輪窯で大量の煉瓦が製造された。
建物の表面化粧が剥げ落ちて、無残な姿であるが、保存に向かって努力してもらいたい。 
  旧堺港灯台(国史跡)
明治10年建設
木造
設計 ピグルストーン・大盾佐太郎
施工 大盾佐太郎
堺市大浜北町5丁目

当初の光源は灯油ランプであったが、緑色を帯びた光が18km先まで届いたという。昭和43年に役目を終えるまで、ほぼ一世紀にわたり大阪湾を航行する船の道しるべとなった。
この灯台は三重県の旧安乗灯台に次いで日本で2番目に古いものである。
 
  南海本線浜寺公園駅舎
明治40年建築
木造平屋建て
設計 辰野片岡建築事務所
施工 大林組
堺市浜寺公園町2丁目

かって海水浴場として名の知れた浜寺公園の入口の駅舎。
木造洋風真壁造りの壁面。正面入口には4本のとっくり形した柱が用いられている。
 
三国丘高等学校同窓会館
昭和7年建設
RC造り2階建て
設計 久野 節
施行 大林組
堺市三国ヶ丘町

設計の久野 節は三国丘高校の前身の堺中学の出身
旧浅香山脳病院
浅香山病院
昭和12年建設
木造平屋建て
設計 W・M・ヴォーリズ
施行 清水組
堺市今池町二丁

手前の建物。奥の建物も同病院だが最近のもの
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