江戸時代、筑波山中腹にあった知足院中禅寺は幕府の外護のもと隆盛を誇っていた。その門前だった北条は多くの旅宿や参詣客で賑わい、城下町のように家屋が建ち並び、商家が軒を連ねる在郷町として栄えた。周囲の農村で生産された米・大豆・綿花などの集散地となっていた。 江戸時代は北条新町・北条中町・北条内町と分かれていて、農産物の集散地、筑波山中禅寺の門前町として賑わった。江戸時代、この三町ともはじめ佐竹氏領、慶長7年(1602)幕府領、慶長15年(1610)近江山路藩領、元和2年(1616)幕府領、寛永2年(1625)旗本堀田氏の知行、元禄11年(1698)からは土浦藩領となって明治を向えた。 堀田氏が山麓に散在する民家を街道沿いに移したので、物資の集散地として発展した。三町合わせての人数は享保6年(1721)1,632、元文5年(1740)の戸数186・人数1,516。宝暦9年(1759)の戸数は277であった。 江戸時代、隆盛を誇った筑波山知足院中禅寺は、明治維新の廃仏毀釈によって機能は停止し、大御堂など多くの堂塔は破壊され、仏具も大半が破壊されてしまい、事実上消滅してしまった。 今、町並をあるくと、伝統的な店蔵の建物や土蔵は少数になってしまっているが、かっての門前町・在郷町であった当時の面影や遺跡は各所に残っていて、それらしい雰囲気が漂っていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
北条の町並 |
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