人吉市
旅館芳野
熊本県人吉市上青井町180
電話 0966-22-2244 

正面だが玄関入口が斜めになっている

正面の夕景

玄関入口

  近世城下町人吉は球磨川によって南北に大きく二分され、城のある南側は武家町、北側は町人町に区分されていた。江戸中期の町人町は町数9筋とされ696戸、人数は2,749人。問屋17(川舟問屋2・他領川舟問屋4・商売問屋6・日雇問屋2・杣子問屋3であった。
人吉への交通路として、寛文2年(1662)に球磨川の大石割除工事が成功し、寛文5年(1665)には八代まで川舟運航の道が開け、参勤交代ばかりでなく物資輸送も盛んになり、人吉町の繁栄の基となった。
 今回宿泊した旅館芳野は明治42年創業と云う。肥薩線開業(人吉駅)間近で賑あう人吉で、料亭芳野本店として創業されたもの。
旅館芳野へは人吉駅からゆっくり歩いてやってきた。道から敷地内に入り、一番最初に気付いたのは、玄関の向きと、建物の向きが微妙に違っている。道に対して建物の向きも少し斜めだが、それ以上に玄関の向きが斜めになっている。
通された部屋は頼んでいた通り、本館玄関部分の上右側2階の部屋(七号室)で、玄関の屋根が良く見える部屋だった。旅館の建物は中庭の周りを囲むように建っていて、昭和6年に建てられた本館は玄関部分やその左側の大広間や客室からなり、玄関から見て右側には大正時代に建てられた建物がある。中庭には小さな神社の祠もあった。
本館を含めて4棟が国の登録有形文化財に登録されているが、建物全体からは期待したほど古さが感じられないが、贅を尽した素晴らしい意匠がどの部屋にもみられる。床の間の意匠、書院の繊細な模様、飾り窓の意匠、ステンドグラスの窓ガラスの部屋、鶴の絵が描かれた襖、繊細な意匠の欄間、廊下の腰板には古い舟板を使ったものや網代に編んで焼き焦げを付けたものまで、見事な装飾や意匠が見られた。
泊った部屋の天井が高くサッシは使われていなかった。館内を見ると廊下などにはサッシが使われていたが、客室にサッシが無かったのは、建物維持管理で伝統的なものを残そうとの努力の賜物と思われる。
夕食時に挨拶の来られた5代目女将に、玄関入口が少し斜めに取り付けられているがと切り出すと、中国の故事・風習の「風水」のことから、風の通りが私が泊った七号室を通して中庭に通じるとかの説明を受けるが、全く理解できず、どうして斜めに玄関が取り付けられているのかは、中国故事の風水に由来するらしいとしか判らなかった。又、中庭にある小さな祠の神社についても説明を受けたが、鬼門除けの祠ということしか判らなかった。
翌朝の9時から女将による館内の案内があると聞き、その時間に集合場所に行ったが、私一人で女将の案内を受けた。その時に普段は客室として使用していない玄関を入って右側の大正期の建物を主として案内願いステンドグラスの窓の部屋などを見て回った。
(2018.10.24宿泊)


泊った部屋

泊った部屋

入口玄関部分

大正期の建物の廊下意匠

泊った部屋から見た夜の本館客室

本館廊下と階段

本館の客室

大正期建物のステンドグラス窓の部屋

本館の客室

本館の客室

中庭の祠

本館の廊下腰板(舟板)

本館の廊下腰板(網代に編まれ焼き焦げがある)

大正期建物の客室

大正期建物の客室

ステンドグラス窓の部屋の天井

大正期建物の客室

大正期建物の客室

大正期建物の客室

大正期建物の客室

大正期建物の客室

泊った部屋から見た玄関入口の屋根

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