日奈久温泉
柳屋旅館
熊本県八代市日奈久中町326
電話 0965-38-0125 

柳屋旅館の前景

柳屋旅館の夕景

柳屋旅館の入口

  熊本県の中央南西部、八代市街の南西約10kmで八代海に面して日奈久温泉がある。
温泉は室町時代に発見され、江戸初期から藩主の入湯があるなどで賑わい、薩摩街道に沿った日奈久温泉は参勤交代のルートにもあたり、参勤の行列や旅人がよく利用した。藩主は参勤交代の際、海路で日奈久港に入り、藩営浴場を利用する慣習があった。
文化・文政年間(1804~30)の全国温泉番付によると日奈久温泉は前頭9枚目に登場している。
日奈久村は明治22年には旅籠数25とある。今回宿泊した「柳屋旅館」は創業明治22年とあるので、その内の一軒だったのだろう。、
明治36年国道(現国道3号線)が貫通し、温泉地として更に活気を呈し、大正12年には鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)が八代~日奈久間に開通し、湯治客誘致が促進された。
温泉浴客数は大正13年25万人とある。昭和に入り日中戦争に伴って熊本陸軍病院の分院がこの地に設けられ、金波楼を療養本部として町内の主な旅館が病棟とされたこともあった。
現在では鄙びた温泉地のイメージが強い。明治・大正・昭和初期に建てられた木造建築が主流を占める旅館街であり、温泉街である。
「柳屋旅館」もそんな中の一軒である。旅館の入口を入ってビックリ、天井部は太い梁を巡らした構造材を見せた造りになっている。なんでも江戸期の建物の構造そのままとのこと。そして案内された部屋は玄関棟の左側の棟で昭和13年建築とのことで、部屋は中庭の見える部屋だった。他の部屋も見せて頂くと、大変意匠に凝った部屋が並んでいた。障子・欄間・書院・階段の手摺・天井など、それぞれ異なった意匠の装飾で、大広間の天井は折り上げ天井だったのには驚いた。
只、玄関棟と左隣の宿泊した棟との間に、旅館入口に造られたのか、洋室に造られたのか判らないような、変わった建物がこの旅館のファーサードを印象付けてる。
隣の旅館「金波楼」が伝統的な様式を守って、最近国の「登録有形文化財」に指定されたが、同じような条件にあった「柳屋旅館」は伝統的な様式を積極的に残そうとの努力が余り見受けられないのは、私にとっては少し残念な宿泊となった。
今年は創業128年で、5代目の当主に大広間などの説明をして頂いた。4代目の当主が亡くなったのは、1ヶ月ほど前で、4代目(父親)は余り伝統的な古いことには拘っていなかったので、私5代目も古くからのことは全く知らないとのことだった。でも大広間には松竹梅それぞれの欄間があり、天井の中央には「武田菱」の意匠が、また、折り上げ天井になっているとの説明があった。
日奈久温泉も大きなホテルや巨大旅館の設備や仕様に馴れた、観光客を誘致するにはなかなか厳しい面があるが、個人旅行客の確保に向けて努力してもらいたいと願っての宿泊だった。
(2017.6.10宿泊)


泊まった部屋

泊まった隣の部屋
 
玄関入口の天井部、江戸期の建物そのもの

階段部分

廊下部分

廊下と階段

客室の意匠

客室の障子

客室の意匠

大広間の書院部分

廊下から見た中庭、奥の建物は浴室棟

大広間の天井、「武田菱」と5代目当主が話して居られた

大広間の「折り上げ天井」と松の欄間、大広間には松・竹・梅の欄間があった。

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