五條市
山田旅館
奈良県五條市新町二丁目6-8
電話 0747-22-2125 

山田旅館の前景

山田旅館の夕景

山田旅館の入口広間

  吉野川中流域の北岸 、旧紀州街道に面して山田旅館は建っていた。
紀州街道と吉野川、紀ノ川の水運によって開けた五條の町(須恵五條村)はすでに15世紀の初めに市場が開かれており、物資の集散地、在郷町、宿場町として栄えた。
松倉重政が慶長13年(1608)に二見城に入ったとき、五條と二見の間の中間に新たに造った町が新町である。
今、伝統的な建物が連なっているところは、五條一丁目から西へ旧紀州街道沿いの、本町2丁目、新町1丁目、新町2丁目、二見1丁目まで、江戸時代の景観を残す町並みが続いていて大迫力である。
木造の本瓦葺・中二階建てで漆喰で塗り込めた虫籠窓を備え、全体的には重厚な建築であり、江戸時代にタイムスリップしたような景観である。
山田旅館は旧紀州街道沿いの古い町並の東端に近い所にあります。江戸時代後期の建物のようで、五條と二見の間にあることから「五二館」と云う名で、筏師宿であったという。山田旅館となったのは明治40年頃のこと。この「五二館」の看板は山田旅館の建物西側の妻に飾られている。
吉野川の筏で運ばれてきた木材は、山田旅館での商談が成立すれば、芸者が呼ばれて宴会がはじまったそうである。
江戸時代末期の建物と云われていますが、その面影が見られるのはミセノ間と云われている入口部分の天井や階段の黒い虫食いの木材に見られる程度で、その他の部分は時代時代に合わせた改装を繰り返しておられ、江戸期の面影はあまり感じなっかった。
今、山田旅館は70歳代の女将さん一人で切り盛りされている。ご主人は今でも勤めに出て居られるようで、夜になると少し話し相手になってくれた。泊った当日の宿泊客は私一人で、一人分の食事を作るのは無駄が多いので、夕食なしにして欲しと云われ、国道筋まで歩く羽目になってしまった。
女将さんの趣味はパッチワークで、大きなたべストリーなどの制作して、この旅館一杯に展示会も開くと仰っていました。
(2015.4.21宿泊)


山田旅館辺りの夕景

山田旅館の以前の旅館名「五二館」の名前が揚がっていた

客室

2階廊下から見た玄関部分(この下は階段)

2階廊下(左に掛かっているタペストリーは女将の造られたもの)

2階客室から見た旧紀州街道筋
 
山田旅館の夕方の光景

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