舞鶴市
茶又旅館
京都府舞鶴市字本38
電話 0773-75-0052 

茶又旅館の入口部分

茶又旅館の夕方の風景

街並みの中の茶又旅館、泊まった翌朝の雪が積もった状態

  田辺城下町の町人町、北前船の寄港地として繁栄したこの地に、創業270年と云う茶又旅館がある。
江戸期には舞鶴西港は田辺城下の田辺湊として栄え、高野川河口の竹屋町を中心に、藩内各地の物資が集まった。そして現在でも高野川河口両岸には当時の面影を残す倉庫群がみられる。
東舞鶴は明治になってから軍港として発展したもので、江戸期は寒村だったところ。
茶又旅館に着いて、一番に感じたのは入口玄関部分が小さいことです。どうしてかなと疑問に思っていると、89歳と云うこの旅館のおじいさんが、戦争中に道路を広げ、延焼を喰い止める目的で、家にロープを巻き付けて、倒されてしまった。今と違い保障もないし!!。
戦後、癪に障るから、壊された家と殆ど同じものを建てたので、道路に取られた部分だけ、前が寸詰まりになってしまった。と云っておられた。
部屋に案内してもらうと、床の間が付いていて掛け軸が下がっている。それにはびっくりしないが、エアコンが設置されていた。また、障子はあるがその外側はアルミサッシになっている。
そのことを云うと、古い雨戸やガラス窓のままだと、風が吹いてガタガタ音がするのでお客さんからの苦情が!!。エアコンが無いと部屋に入ってから、キャンセルと云って帰ってしまうお客もいるので!!とのこと。
ストーブを付けているより、エアコンの方が安全だからと設置に踏み切ったとの話だった。
訪ねたのは12月の寒波が襲来している時、泊まった日もその翌日も良い天気だったが、夜間に雪が少し降ったようで、朝には屋根に雪が積もっていた。
(2014.12.13宿泊)

町並の中の茶又旅館、前日の写真

玄関入口、写っている自転車は私が借りた自転車

玄関に揚げられていた額「風万年枝を動かす」と読むそうです。

泊った部屋、畳は6畳でしたが大きな部屋でした。襖の向こうは控えの間で大きな4畳の間でした。

泊った部屋の外側の障子、その外側に小さな縁側があって、アルミサッシで外と遮断されていた。

茶又旅館の運河側の景色。2階右側の部屋2室を使わせて頂きました。

翌朝目が覚めると、雪景色だった。泊った部屋から見た風景

旅籠宿に泊る西日本に戻る