彦根市 | ||
とばや旅館 | ||
滋賀県彦根市河原3-1-23 電話 0749-22-0325 |
とばや旅館の前景 |
とばや旅館の夕景 |
玄関入口 |
江戸期、彦根城下の外濠の外側と内側を繋ぐ番所が、七ヶ所設けられていた。中山道の高宮宿と彦根城下を結ぶ城下入口に当たる番所が猿尾口で、この辺りに町が広がっていたのが、今の彦根の繁華街、彦根銀座から河原町一丁目・二丁目の「花しょうぶ通り」である。。明治になって遊郭として認められた袋町は河原町一丁目~二丁目の「はなしょうぶ通り」の西側、芹川との間に展開し、古い形式の町家と今風の飲み屋街の入り混じった細い路地ばかりの町である。 「花しょうぶ通り」と名付けられた通りの両側には、古い伝統的な様式の民家が連なる。切り妻造りの平入り、中2階建ての江戸時代を思わせる建物が並ぶ。 そんな中、彦根銀座に近い位置に今回泊った「とばや旅館」がある。予約時に江戸期の部屋との話でその部屋にとお願いした。でも創業は明治13年と言われている。幕末の古文書に「鳥羽屋清八」の名が残っているので、江戸期から営業していたが、何かの都合で明治13年と区切りをつけたのだろう。 また、建物前面に「や羽鳥」と書かれた看板が揚がっている。屋号だろう。そして名前の由来は判らないそうだが、多分鳥羽出身だったのではないかと思われるとのこと。 宿に着き声をかけると、87歳という大女将が出迎えてくれた。チョット早いですが大丈夫ですかと言うと”いいですよ”と愛想良く応対して頂いた。案内願ったのはその息子さんの5代目の若大将。 案内して頂いた部屋は江戸期の部屋との言葉通りの意匠の客室だった。床の間や違い棚があるのは普通として、「釘隠し」まで備わっているのにはびっくり。そして床の間の小物入れの襖も江戸期のそのままとのことだった。 厚かましくも、他の宿泊客が来る前に他の部屋も見せて欲しいとお願いして、大広間や月の間も見せて頂いた。5代目のご主人は商人宿だから、大した装飾が無いと仰っていたが、どうしてどうして見事な意匠を施した客室が並んでいた。 玄関を入ったところと建物外側に、明治31年の汽車の時刻表や小包の郵便料金、多賀大社や近くの神社の大祭や例祭のことなどが書かれた説明板が挙がっている。宿泊客のための情報提供も行っていたのだろう。 宿の切り盛りは若い5代目のご主人が一人でやられているようだった。4代目のご主人は91歳とのことでチラリチラリと姿を見たが、会話を交わすことなく、4代目の大女将とはお話を多くさせて頂いた。 ここに奥への通路があったとか、この場所に階段があったが今無くなったとか、土蔵が奥にある等を話して頂いた。泊った部屋の天井の写真を掲載していないが、杉板の見事なものだったとのことですが、黒色の染料が塗られていてそれらしきものは確認できなかった。 当日の宿泊客は私一人ともう一組5人組だった。 料理は家庭料理に近いものだったが、宿泊価格からみて、これで採算が取れるのと思えるほどの豪華なものだった。 (2017.3.13宿泊) |
泊まった部屋 江戸末期の設えそのままとのこと |
泊まった部屋の吊戸棚の金の扉も江戸期のものだそうだ |
泊まった部屋の欄間、隣の部屋が使われてないので欄間の奥が塞がれていた |
泊まった部屋の釘隠し、釘隠しが部屋中に、7~8個も備わっていただろうか |
別の部屋に意匠 |
別の部屋の床の間 |
廊下 |
廊下から見た中庭、この辺りは最近の造作だった |
明治31年の汽車の時刻表 |
中庭は夜間照明されていた |
玄関入口を内側から見ると |
とばや旅館の前面に揚がっている看板 |