徳島市 | ||
阿波の小宿 大正楼 | ||
徳島県徳島市蔵本町1-24 電話 088-631-8881 |
大正楼の前景 |
大正楼の夕景 |
大正楼の入口 |
徳島市西部のJR蔵本駅近くに大正楼がある。近くに同じような形態の常磐旅館もある。共に大正初期創業というから、この地域が飛躍的に発展した時期の創業だったのだろう。 明治32年に徳島鉄道(株)の徳島ー鴨島間が開通し、徳島・蔵本・府中などの駅が開設され、明治40年に国有化され国鉄徳島線となった。 また、明治41年に日本陸軍の歩兵62連隊が、蔵本駅近く(現蔵本公園・徳島大学病院・加茂名中学校)に置かれ一時廃止されたが、後に善通寺の歩兵43連隊(くじら部隊)が移駐してきた。 国鉄蔵本駅の開設・歩兵連隊の駐留と合わせて、この地の産業「藍関連の商業」の発達を背景に徳島市は全国で10位の大都市となっていた。 そんな背景の中で、旧伊予街道と旧讃岐街道の交差点近くに建てられたのが「大正楼」だった。3代目と仰るご主人によると創業年はハッキリと判らないそうで、大正元年とも大正3年とも云われているが、親戚の中には大正5年と云う方もおられるとのこと。 創業時建てられた家屋が修復・改装を繰り返して今にそのまま残っているとのこと。建物の構造は大きく分けて、道路に面した建物2棟と奥に続く建物2棟で構成されている。 奥に続く部屋は全て庭に面しているようで、案内された部屋は奥に続く建物の奥の棟の突き当りから二つ目の部屋で、縁側はなかったが、ガラス窓越に綺麗な庭がみられるきれいな部屋だった。 この旅館の入口はチョット変わっていて、前の道に面した建物の中央部に幅約5m程の空間(通り庭)が奥の庭まで通じている。その奥の方の左側に宿と描かれたと提灯と床几が設置されている宿の入口があった。 ご主人に頼んで旅館内を案内して頂いた。この時代の窓ガラスでは歪に見えるガラスが多いのだが、歪に見えるのは無いように思った。ある部屋に入ると旧日本軍の海軍と陸軍の旗が彫られた欄間の彫刻が目に入った。旧陸軍歩兵43連隊の駐屯を意識してのものだろうと宿の主人の話だった。 (2017.7.25宿泊) |
泊まった部屋 |
泊まった部屋から見た庭の景色 |
部屋から外を見ると |
ご主人に案内して頂いた部屋 |
ご主人に案内して頂いた部屋の欄間、旧日本軍の旗が |
旅館として一番良い位置にある部屋 |
一階の廊下 |
2階の廊下 |
廊下の一部 |
夜の庭、一部の照明が未だ点いていなかった。 |