出雲市
大社町
旅館すたに
島根県出雲市大社町神社正門横
電話 0853-53-2019 

「旅館すたに」の前景

「旅館すたに」の夕景

「旅館すたに」の玄関入口

 出雲市大社町は縁結びの神様として有名な出雲大社のある町である。出雲大社と云うようになったのは明治4年からで、それまでは杵築大社とよばれていた。
江戸時代には杵築大社(出雲大社)の門前町として栄え町場を形成していた。
これらは杵築2,000軒と俗称され、杵築大社の東側は北島国造家の支配下に、西側はは千家国造家の支配下に属していた。
杵築の江戸期は大社参詣の人々で賑わうとともに、杵築大社の富くじ興行も年2回(3月・8月)行われ大変賑わいを見せた。この富くじ興行の期間には町中の家が宿屋となり、商家・宿屋は年2回のこの興行で一年の収入になったそうだ。
今町並は出雲大社の東側北島国造家を代表とする社家町、西側に千家国造家等の社家町と、出雲大社の南側とその南西側に商家や民家の町並が展開する。
大多数の伝統的な家屋は、中2階建て切り妻造りの平入りの商家の建物である。
今回宿泊したのは出雲大社正面大鳥居の横にある「すたに旅館」である。江戸時代の創業と云われ、江戸期の宿帳も残っているそうです。現在のご主人は7代目で200年は越えようかと云う建物を大切にして維持管理に努力されている。
案内して頂いたのは6代目のご主人で、玄関棟の2階の部屋で窓を開けると立派な庭越に、出雲大社の大きな松林が、旅館の庭の続きの様に見られた。他の部屋も見せて欲しいと頼むと、私が泊る部屋の下の部屋も見せて頂いたが、部屋の作り方は全く同じだった。滞在客のある一部屋以外は、大広間も含めて全て見せて頂いたと思う。感謝、感謝。
そして、この「すたに旅館」も古くは出雲大社の布教に努めた御師の家だったようで、この辺りの古くからの旅館は大体御師だった家ですねとのことだった。
食事は泊った隣の部屋で、女性が下から運んできたので、女将ですかと聞くと、女将ではないですとの返事だったが、その後の様子などから女将に近い存在の様だった。
道路から玄関までの間には白砂が敷かれていて、寺院のお庭のように直線の模様が刻まれていたので、ご主人に毎日模様を付けるだけでも大変ですねというと、車が入るので直ぐにダメになると仰っていた。
この「すたに旅館」を予約する時に、道に面して2階建ての建物が建っているので、道に面した2階の部屋をと希望を云うと、この建物は私用の住宅だから客室では無いとの返事だったが、どう見ても一階は出雲そばのお店で、2階は客室としか見えない。当初はそうだったのかも知れないと思った宿泊だった。
(2016.8.23 宿泊)


泊った部屋

泊った部屋から見た庭、電柱の向こうは出雲大社の松林

泊った部屋の下の部屋

泊った部屋の下の部屋から見た庭

大広間として使用されている部屋

大広間からみた庭

廊下から見た庭

正面の主屋の2階から見た旅館の入口部分、左側の建物は旅館経営者の住居

旅館入口部分には白砂が敷かれ直線の文様が描かれていた

玄関奥から見た玄関入口部分、階段右側はロビーになっている。

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