大山寺参道
宿坊 観證院
 山楽荘
鳥取県西伯郡大山町大山14
電話 0859-52-2006 

山楽荘玄関部分

山楽荘の夕景

玄関入口

 観證院「山楽荘」は400年続く名刹で、大山寺の宿坊である。
大山寺は奈良時代養老年間(約1,300年前)、金蓮上人によって山岳信仰の霊場として開山された。平安時代に入り、天台宗に改宗し西日本における天台宗の一大拠点となった。明治の廃仏毀釈の前は高野山や比叡山に並ぶ宿坊があったというが、廃仏毀釈により大山寺の号が廃され、大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した。これにより大山寺は急激に衰退した。当観證院は大山寺の十ヶ院の一つ、中門院谷塔頭であった。宿坊として400年以上の歴史を伝え、不動明王をその本尊として祀られている。
 観證院山楽荘はこの廃仏毀釈時から宿坊と旅館業を兼ねるようになったようである。帯妻が認められ旅館業を創めてから今で6代目だそうです。よって今でもご主人は僧侶(住職)で女将さんは坊守ということになります。
今回は車で「山楽荘」に向かった。大山寺参詣道の一番奥の山門近くに「山楽荘」の駐車場がある。駐車場に車を止めたが、「山楽荘」らしき建物は荒い積み方の急な石段を登った上にある。今回は自動車と云うことで重い撮影機材を多く持ち込んだ。上に運ぶのは大変と、自動車を再び参詣道に出して上に向かったが、車を止めるところがなく、元の駐車場に戻り、撮影機材を肩にして「山楽荘」まで持ち上げた。
受付に居られたのはご主人(住職)で、案内願ったのは女将で、女将と呼ぶの??、坊守さんと呼ぶの??
と問うと、女将と呼んでくださいとのことだった。案内されたのは入った入口広間を左に進み階段を上がったところの部屋。二方見晴らしのきく素晴らしい部屋だった。窓から下を見ると駐車場に自分の車が見えた。
建物は寺院と旅館を兼ね備えていて、本尊(不動明王)を安置した仏間も見られる旅館だった。玄関広間を右に進むと明治期建築と思われる本尊を安置した建物は茅葺屋根のようで、座禅する部屋や食事する部屋も同じ茅葺屋根の建物にあったが、トタン覆いであった。泊った部屋のある建物は昭和30年代に建てられたもの。こう書けば古そうに感じるが、建物の内外共に補修改装が進み、古さが感じられないのは私にとっては不満で、何か古さの残る所がないかと探したが殆ど見つからなかった。
 この山楽荘の売りは「山菜精進料理」であるが、食については全く疎い私には表現の仕様がないので、山楽荘の宣伝文句を少し引用しておく。精進料理では珍しい山菜を主とした料理でのもてなしで、大山周辺のこの地は標高800m程の高地で、気温が低いのと土地が痩せているため田畑ができない。里のお寺の精進料理のように畑の食材を巧みに使うことができないため、大山の自然の恵である山菜を使っているために山菜精進料理になっている。山菜は鮮度が大事で、早いうちに下処理せねばならず、大変手間のかかる食材で、一朝一夕ではできない料理方法で、その珍しさを求めて会食に訪れる利用客も多いそうです。
 泊った部屋から見る周辺の景色は全て山林で覆われている。大きな杉の木越しにみる夕焼け、朝の大山の景色など、最高の贅沢の極みと思える宿泊だった。
 いや、最高の贅沢は一人だった座禅かもしれない。宿泊申込時に座禅希望と伝えたが、自分一人だとは思わなかった。宿に着き一人座禅と聞き、僧侶に申し訳ないので辞めると言ったが、一人でも良いですよとのこと、座禅する者私一人に僧侶一人ということになった次第。座禅するのは初めてでないが、高齢になってからの座禅は、体の各所が痛くなり苦痛に耐えながらの座禅になった。
(2019.9.24宿泊)


泊った部屋

泊った部屋

泊った部屋から見た夕景

座禅をした部屋

座禅をした部屋

食事した部屋

玄関入口を内側から見る

夕方のパブリックスペース(トタン覆いになっているが茅葺とのこと)

階段

写経の部屋

パブリックスペース(大山寺案内図書が置かれていた)

玄関部分

玄関から登ってきた石の階段をみる

廊下の飾り

夕景の旅館 (トタン覆いの下は茅葺屋根)

泊った部屋から翌朝大山が良く見えた

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