四万十町
美馬旅館
高知県四万十町本町3-4
電話 0880-22-1101 

美馬旅館正面

美馬旅館正面の夕景

美馬旅館入口玄関、別館木のホテルの落成お祝いの花が。

  窪川(四万十町)は中村街道と窪川宇和島街道の分岐点にあたることから、江戸期から商業が発達していた。それは明治・大正・昭和になっても受け継がれ、物資の集散が多く、町内は活気にあふれていたようで、明治24年には家数1,151・人数5,502とあり、その明治24年に美馬旅館は創業した。場所は四国八十八ヶ所観音霊場の岩本寺参道で窪川宇和島街道への接続道でもあった。
JR土讃線窪川駅から歩いて約5分程度の距離に明治24年創業の美馬旅館はあった。部屋に案内してくれたのは6代目と云う若女将、入口の建物の右側にある駐車場越に国道381号線に沿った、旅館正面に見える昭和12年建築の建物で、2階角部屋二間続きの一番良いと思しき部屋で、この大きな部屋を一人で使う贅沢と感謝。梁や鴨居は低いが、天井が高い部屋だった。
この部屋は昭和16年に作家の林芙美子が泊った部屋だとの説明を受けた。風呂のある場所への案内で一階の玄関奥辺りが大変ややこしい構造になっていて、案内を受けた後に簡単に部屋に帰れない迷路の様だった。
その後、若女将より林芙美子の「婦人公論」昭和16年10月号・11月号に掲載された「国土巡禮 扁舟紀行」より抜粋の美馬旅館に関係ある文章を見せて頂いた。それによると「私の泊った旅館は奥深い家で離の新しい2階に通された。縁側から白い石の鳥居が見えたし水田も桑畑も見える窪川は、もと仁井田と云ったそうで如何にも古い町らしいおっとりした処があった。縁側の椅子に腰をかけて、ぼんやり明るい水田を眺めてゐると、何と云うこともなく、……」文章を読んでいて、部屋の位置関係が今とは異なることに気付いた。改装・改造を重ねているとは云え、位置まで変わらない筈。
後でそのことを訪ねると、今の旅館入口辺りは田圃で(今は国道381号線)、当時の旅館入口は37番札所岩本寺参道に面していて、今は食事処の入口になっているとの説明だった。英文字 L を左右反対にしたような旅館敷地の上の端が入口だったようで、今は下の端が旅館入口になっているので、旅館内を7~80mも移動していたことになる。そして改造を重ねた結果が、今の玄関奥の構造が複雑になっている原因の様だった。
帰ってから美馬旅館の小冊子をみると、泊った部屋にあった額が、吉田茂旧首相の直筆の書であることが判り、写真を撮ってなかったのが残念だった。
夕食・朝食を頂いた食事処「美馬」も「美馬旅館」の客室を改装されたようで、和風の欄間が残されていて、中々いいアイデアと感心して見とれた。
泊った昭和12年建築の棟以外の旅館建物は比較的新しく、一番新しいのは近くに建てられた「木のホテル」という木造平屋建てのホテル形式のものの様で、この「木のホテル」の宿泊者も、美馬旅館宿泊者同様に食事処「美馬」に来られていた。
この「木のホテル」はごく最近落成になったようで、お祝いの花が、美馬旅館正面入口に所狭しと置かれていた。
(2018.12.18宿泊)


泊った部屋

泊った部屋 額の書が吉田茂旧首相のものだった。

泊った部屋

別の部屋

別の部屋

階段

廊下
 
旅館の入口を内側から見ると
 
旅館入口
 
中庭
 
食事処「美馬」の入口
 
食事処「美馬」、旧客室だった名残の欄間が見られる

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