岩国市岩国 | ||
割烹旅館三原家 | ||
山口県岩国市岩国2-16-6 電話 0827-41-0073 |
三原家の前景 |
三原家の夕景 |
三原家の玄関入口 |
錦川にかかる錦帯橋は、日本三大奇橋の一つとして有名である。 岩国藩初代藩主吉川広家は横山山頂に城を、麓に居館を置き、錦川を堀としてその対岸に城下町を造った。錦川を外堀としたその対岸の城下町は、今も当時の町割りのまま残っていて、道幅は約5mほどあり、切り妻造り平入り、中2階建て、格子の商家の建物が連なる。ベンガラ格子、白漆喰塗り込めの虫籠窓を備えた商家の建物は往時の城下町の息吹を感じさせている。 そんな城下町の1画に割烹旅館三原家がある。初代三原家は岩国藩主に最初に岩国寿司を献上したと云われている。それ以後8代に渡って、300年以上その味を守り続けているようだ。でも三原家に宿泊したが食べる機会に恵まれなかった。理由は一度に48食程度を造るとのことで食べる機会を逸した。 旅館(旅籠)の創業は判らないそうですが、江戸初期の慶長年間までさかのぼるそうです。お殿様に岩国寿司を最初に献上していますので、江戸期の創業は間違いないでしょうが、8代に渡って300年はチョット勘定が合いません。 今の建物は大正末期頃に建てられた建物。大広間の床ノ間には岩国寿司を造るための桶が飾られ、反対側には岩国寿司を造る実演をするための道具類が置かれていた。 泊った部屋は、入口の門左手の2階「寿の間」で、昔、美空ひばりと母親が泊った部屋と女将の話。二間続きの大きな部屋で、書院造りの床の間も備わっていた。風呂は小さな岩風呂であった。湯船は昔の鋳物製の鉄風呂で、今は上から給湯するようになっていたが、かっては下から薪などを燃やしてお湯にする鉄風呂で、「ゲスイタ」と呼ばれる木の板の底板を乗せる部分も残っていた。大変懐かしく眺めたが、結局湯船には入らなくて、横のシャワーで済ませてしまった。 大広間の縁側(入口側)の軒桁は2本の杉材を真ん中で継がれていたが、20m以上もある立派なものだった。玄関には6代目が岩国寿司を切っている写真が飾られていたが、旅館の案内には8代目の若い頃の岩国寿司を切る写真が載っている。 旅館を切り盛りしているのは女将一人のようで、八代目の姿もチラリチラリと見たが、顔を合わすことも、話すことも無かった。当日の宿泊者は私一人だったのはチョット寂しかった。 (2015.9.2宿泊) |
三原家の門を入った所 |
大広間 |
大広間横の廊下と階段 |
泊った部屋、寿の間 釘隠しには家紋が使われていた。 |
泊った部屋の床の間 |
トイレ内の石積 |
お風呂の石積、鋳物の鉄風呂が使われていた |
大広間横の廊下の見事な軒桁 |
階段 |
六代目の岩国寿司を切る所の写真が飾られていた |