美郷町粕淵
亀遊亭
島根県美郷町粕淵340
電話 0855-75-1245 

亀遊亭主屋の前景

亀遊亭の入口の夕景

亀遊亭入口

  美郷町粕渕は島根県中央部、江川中流域で、北流してきた江川が反転して、南に流れを変える所の北岸に位置し、江戸期は銀山御囲村の一つで、大森銀山から三次・尾道へ銀を運んだ銀山街道が通っていた。
「亀遊亭」は粕淵村で年寄や郡中取締役を勤め、酒造業も営む地主で、広大な敷地に江戸時代の庄屋屋敷の料理旅館である。多くの林家文章が残り、往時の世相・治安・行政を知る上で貴重な文章とされていて、主屋と共に立派な土塀や多くの土蔵・風格ある見事な庭園を有し、綺麗に維持管理されている姿には敬服する。江戸末期には本陣だったとの説明もあるが、幕府直轄領大森代官支配地だったので、代官が泊る宿泊所だったのだろうと思う。
古い歴史ある建物を使って、1950年から林家が営む料理旅館が「亀遊亭」である。「亀遊亭」の看板が揚がった重厚な門をくぐり、玉砂利の敷かれた広い屋敷を進むと、天保15年(1844)に建てられた主屋が向かえてくれる。建物の正面入口らしきところじゃなく、その横左側の入口が玄関になっているようだ。
声をかけると出迎えてくれたのが、10代目の若女将。上を見ると太い梁がむき出しの見事な骨組が。
奥に案内してくれるのかと思ったら、入口を一旦外に出て左側に進み庭を通って、別の入口からの案内で、通された部屋は大正期に建てられた建物で、3畳・6畳・8畳に縁側がある落ち着いた部屋。トイレも洗面台も風呂も部屋に備わっていたのには驚いた。
別の風呂は何処と聞くと、部屋の風呂を利用するようにと。廊下には風呂の表示があったので、宿泊客の少ない時には、部屋の風呂だけのようだった。
若女将に頼み他の部屋も見せて頂いた。平入になっている主屋は5代目が天保15年に建てたもので、その左側で主屋と直角に建つ建物は明治期に6代目が建てたもの。その奥(写真では見えない)にある私が泊った建物は大正期の建物との説明だった。
旅館として使っている部屋は主屋の左側の、明治期の建物とその奥の大正期建築の建物のようであった。翌朝客室入口前の見事に清掃されて風格ある庭を見ていると、庭入口の扉が開いている。旅館入口への通路を挟んで反対側にも立派な庭があり、入口が開いていたので見学にはいると、その奥に(主屋の右側)立派な部屋が。てっきり客室と思い若女将に見せて欲しいと頼むと、主人に聞いてくると。そして10代目のご主人が現れて、客室じゃないのですがと、仏壇とともに見事な部屋を見せて頂いた。林家の座敷として使っている部屋だそうで、プライベートな部屋とは知らないから失礼なことをしたなあと!!
10代目のご主人が料理を造っておられ、10代目の若女将が切り盛りされているようだが、9代目のご両親は健在だとのことだった。
夕食と朝食は明治期の建物の庭に面した部屋で頂いた。夕食時間を午後6時にしたのだが、丁度その時に近くのお寺の鐘がなり、遠い昔の風情が演出されているようだった。旅館料理の様に大きなお盆に乗って2回や3回に運ばれてくるのではなく、上等な会席料理のように一品ずつ運ばれてきたのにも驚く。更にその上驚いたのは、運んできた若女将が私の目の前に置いてから、少し丸い陶器の器を廻した。どうしてと聞くと、料理の正面を向けたとの返事。器に入れた料理の正面が判るように、蓋の絵柄で正面になるように少し廻したとの返事。丸い器だからどのように蓋が置いてあっても良いようなものだが、そこまでの拘りを持っての料理と、料理担当のご主人に敬意を表さねばと思った。
なるだけ女将と話す機会を持つのも大きな目的。今は来年3月で廃線になるJR三江線目当てのお客さんが多いと聞いたので、早速翌朝、JR三江線の粕淵駅で上りと下りの列車が来るのを写真に納めた。
(2017.11.15宿泊)


亀遊亭客室への入口

亀遊亭の門

亀遊亭の主屋と客室

泊った部屋

他の部屋

夕食を頂いた部屋、最初に出ていたのはこれだけ

朝食を頂いた部屋の障子を開けると

客室じゃないが林家の座敷

林家の座敷から見た庭、この庭は自家用のもの

主屋入口の天井部分の構造材
 
客室部分入口から見た庭
 
お客さん用の庭
 
林家の仏壇、浄土真宗本願寺派
 
釘隠しは鶴だった。
 
襖は亀の模様だった
 
夕食に出た茶碗蒸し、カボチャをくり抜いて造られていた。器も食べられるそうだ。
 
白い大きなものは、上に青のりを入れて
下に火を入れて焙って乾燥させるもの。

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