洞川温泉
紀ノ国屋甚八
奈良県天川村洞川温泉
電話 0747-64-0309 

紀ノ国屋甚八の前景

紀ノ国屋甚八の夕景

紀ノ国屋甚八の入口

 古くからの女人禁制の修験道の根本道場である大峰山上参りの登山基地として栄えていた。
元来、大峰山の山上参りは、熊野から入るのを「順の入り」、吉野山から入るのを「逆の入り」といい、洞川からは登らなかった。山上ガ岳での「行」が終わると洞川へ下りてくるのが通例だった。洞川から登るようになったのはバスが洞川まで通じるようになってからである。
大峰山寺の本堂は、毎年5月初旬の戸開にはじまり、9月下旬に戸閉をしたのに合わして、洞川でもその期間だけ旅館や土産物屋・陀羅尼助の薬屋が営業していた。休業中は山仕事を生業としていたが、30年程前(昭和55年頃)から温泉が出るようになり、温泉目的で来る観光客が増え、営業期間が徐々に増え、今は季節旅館はなくなり、どの旅館も通年営業をするようになった。
古くから道路に沿って並ぶ旅館は、部屋や縁側を開けっ放しにしていて大変開放的である。これは大勢の講社の方々が一度に行者装束して出発できるように考えられたものである。
都会から遠く離れ、道路事情も良いとは云えないこのような土地で、過疎化とは関係ないように賑わった旅館街が展開している。胃腸薬の阿弥陀助を売る店も多く、活気溢れた温泉街である。
道路に面した旅館は全て木造の2階建てで統一されているが、余り古い建物が無いのは、昭和21年の大火と昭和29年の火災でこの辺り一面焼けてしまい、その後に建った建物のため。
洞川温泉は大峰山参詣の行者の宿泊施設から脱皮し、避暑地の温泉地として発展しているところ。
泊った宿「紀ノ国屋甚八」は創業300年と云われる老舗旅館である。今の建物は昭和29年の大火後に建てられたもの。他の行者宿と同様に縁側を解放されていて、中々開放的な旅館である。かっては道に面した旅館の大部分が、縁側や部屋を解放されていたが、今では個人客が多くなり、開放的な宿は少なくなっている。
案内された部屋はお願いしていた通りの、前の道に面した部屋。それも8畳+8畳+4畳+4畳という部屋を一人で利用することに。
夏の間は避暑のために宿泊客が多く訪ねる洞川温泉も、10月に入ると「ぐっと」少なくなると7代目と仰るご主人の話であった。
7代目??、創業300年と仰るのでチョット計算が合わないが、何らかの事情での区切りでしょう。個人客が多いとのことだが、今でも団体の講の方々が宿泊されているとのことで、今年の6月3日に講の方々が宿泊され、大峰山に参拝したとの表示がされていた。
この「紀ノ国屋甚八」は裏山が近くまで迫っているので、間口が広い旅館で奥行きが少なく、大きな一棟建てで、風呂(露天風呂)部分が奥に出ていて横に庭あった。
歴史のある行者宿だが、やはり焼けているので、古い部分は殆ど見られないのが残念だった
前回訪ねたときには、夕方、洞川龍泉寺から新しい若い僧侶がほら貝を吹く練習をする「ほら貝の音色」が聞こえてきたが、今回の宿泊では一度も行者のほら貝の音色を聞かなかった。
2017.10.1 宿泊)


泊った部屋

泊った部屋からの見た光景

廊下・階段

泊った部屋の裏側(山側)の部屋

夜の玄関入口

朝方の玄関入口

玄関の上に掲げられていた講の参拝者名簿、本年平成29年6月3日とあった

講のフラッグが飾られていた

半露天風呂

庭園

旅館前の夕方の景色

旅籠宿に泊る西日本に戻る