龍神温泉 | ||
上御殿 | ||
和歌山県田辺市龍神村龍神42 電話 0739-79-0005 |
上御殿の前景 |
上御殿の夕景 |
上御殿の入口 |
紀伊田辺市龍神村は和歌山県の中央東部、日高川の最上流地域にある。群馬県の川中温泉、島根県の湯の川温泉と共に「日本三美人の湯」として知られている。 開湯は約1300年前とされ、役小角が発見した後、弘法大師が開湯したとも言われている。江戸時代には紀伊国を統治した紀州藩とも関わりが深く、藩主が湯治を行うために、初代藩主徳川頼宣が宿舎を造らせた。ただし、藩主の湯治は実現したかどうかは不明。その宿舎建物は管理していた村人に払い下げられた。殿様用の建物は上御殿、家来用の建物は下御殿と云い、それぞれ旅館となり現在も続いている。 泊った上御殿の建物も、その後の建替えは不明だが、今の建物は明治17年の温泉地区の大火で焼失した後、翌明治18年に建て替えられたもので、平成11年に国の登録有形文化財に指定された。 現在の上御殿の当主は源頼政の5男である源頼氏より数えて29代目にあたり、820年続く家系と言われています。 宿泊予約時に「お成りの間」とバスで訪ねると伝えておいたのです。バスの停留所が上御殿の前で、掛かりの方が出迎えてくれ、エアコンの入った「お成りの間」に案内して頂いた。二間続きの部屋で片側が上段の間だった。 上御殿の本館は街道に面して建てられた本瓦葺きの2階建て、入母屋造りの重厚な家屋。奥には新館の2階建て建物が、現代的な設備で建てられていて、その奥に美人湯で有名な温泉があった。奥は急傾斜で新館の2階部分が街道に面した本館の1階と同じ高さだった。更にその奥の温泉湯船部はもっと下に造られていて、更に下には露天風呂も造られていて、全ての湯船から下の日高川の渓流が眺められた。 泊った「お成りの間」は江戸初期に紀州藩が建てた殿様用の部屋を受け継いだ様式に設えたられたものと思われる。床の間・付け書院・違棚・欄間・長押・鴨居・袋戸棚・地袋などそれぞれが銘品で風格を醸し出していた。 流石に「お成りの間」にはエアコンが設置されておらなかった、下の段の控えの間のエアコンとホームコタツのお蔭で、寒さを感ずることなく快適に過ごせた。そして本館の各所にある窓ガラスは明治期のガラスの特徴のユラユラとする歪んだガラスであった。これだけでも歴史を感じる旅館と認識できる。 調理場は新館2階部分に有るようで、夕食・朝食とも部屋食だったので、運ぶのも二人掛かりで運ばれてチョット気の毒と思った宿泊で、部屋にも玄関にも廊下部分にも生の花が活けられていて、女将の心遣いを感じられるが、宿泊中対応願ったのは、従業員と名乗られた年配の女性で、女将ですかと聞くと女将は外出中との返事で、結局一度も女将の姿は見なかった。入口玄関脇には囲炉裏の部屋も造られていて、焼き物などの上御殿の宝物が展示されていた。 肝心の温泉は炭酸水素塩泉で少しヌルーとした感じで、美人の湯としての来訪が多いそうですが、私の本来の目的は温泉でないのでこのことについては触れないでおく。 (2016.1.17宿泊) |
泊った「お成りの間」上段部分 |
泊った「お成りの間」の上段 |
お成りの間の襖 国宝級とのことだが |
お成りの部屋の鴨居など |
お成りの間以外の本館の部屋 |
本館の階段 |
上御殿の本館 |
上御殿の本館の夕景 |
本館の階段 |
本館の玄関部分 |
泊ったお成りの間からの風景 (ガラスが歪んでユラユラ見える) |
入口近くにあった囲炉裏の間 |
龍神温泉の夕景 |