香美町
村岡区
かじや旅館
兵庫県美方郡香美町
村岡区村岡300-1
電話 0796-94-0136 

かじや旅館前景

かじや旅館夕景

かじや旅館玄関

  村岡は但馬地方の北部に位置し、スキー場の神鍋高原とハチ北高原の間ある冬季の積雪が多い所である。
山名矩豊が寛永19年(1642)この地に陣屋を移して村岡村と改め、陣屋を中心として城下町が形成され、以後当地は政治・経済の中核として繁栄した。
「かじや旅館」は旧山陰道に沿って建っている。名前のように江戸期より昭和10年頃まで農林業の道具などの鍛冶屋だったようで、昆陽川を渡った西側で南に折れ曲がっていた旧旧山陰道沿いで鍛冶屋をされていた。旧旧山陰道が折れ曲がらないで直線に付け替えられた明治初期に、新しい旧山陰道に沿って旅館として建てられたもの。
新しく旅館を建てられたのは第9代目の時で、当主が病弱だったので、奥様が副業として旅館を始められたそうだ。その時建てられた建物が現在の街道沿いの建物。そして昭和10年頃に鍛冶屋を廃業された時に建てられた旅館建物が新建てと呼ばれる現在の奥の建物。今は第13代目の女将が旅館業を切り盛りされている。
この地は古くから米作を中心に薪炭作り、和牛飼育、養蚕などを産業としてきた。「かじや旅館」は近くで開かれる牛市にくる関係者のための宿泊施設で、大きな牛小屋もあったそうです。牛市が開催される以外は富山や滋賀の薬売り、播磨の金物屋、縮緬や穀物の販売業者などの商人宿だったようです。
昭和初期の写真が残っているが、旅館の前面の様子は今と殆ど変っていないで旅館建物の右側に土蔵が、その右側には当家居住の住宅が建っているのは今と全く変わっていない。
予定より随分早い午後3時半頃宿に着いたが、快く迎えて頂いた。通された部屋はお願いしていた旧山陰道に面した部屋。街道に面した部屋は3部屋あるが、真ん中の部屋は布団の置き場になっていて、使っておられない様子。明治初期の建物のため天井が低く、少しでも高くするために船底のように中央が高く周りが低くなっている部屋ですが、奥の建物は昭和初期の建物のため天井高が随分高かった。
中庭がありその周りに客室や住宅部分が取り囲んでいたが、中庭には出られなかった。客室の裏側に談話室があり、お茶やコーヒーが自由に飲めるようになっていたが、エアコンの設備が無いので、暑くてとても飲める状態では無かった。
当日の宿泊客は私ともう一人の男性だったが、一度も顔を合わすことがなかった。そして宿泊時に見たのは女将と大女将の二人で、女将のご主人の声は聞こえたが、顔を見ることは無かった。
夜、寝付かれないまま、玄関の柱時計の時を刻むボンボンと云う音が館内に響いていたが、何時しか眠ってしまい、ボンボンと云う音も聞かれなくなった。
「かじや旅館」の在る辺りは古い伝統的な様式を取り入れた建物が多く、陣屋町時代の伝統がうけつがれているのが判る町並みであった。
(2015.7.26宿泊)


旅館入口から横を見た所

泊った部屋

客室

客室

談話室 飲み物が自由に飲めるようになっていた。
梁・棟木を見せた部屋だった

船底天井

中庭を取り囲んで客室が並ぶ

泊った部屋からの眺め

床柱の模様

玄関脇にあった掛け時計

旅籠宿に泊る西日本に戻る