四條畷市
伊勢屋
大阪府四條畷市南野2-18-3
電話 072-876-0960

茶屋宿 伊勢屋

伊勢屋の夕景

伊勢屋の入口

 四條畷市辺りは、京都・高野山を結ぶ東高野街道と河内・大和を結ぶ清滝峠越えの大和街道が交わる交通の要衝に開けた所である。
南北朝時代、南朝方の楠木正行・正時と北朝方の佐々木道誉の合戦が行われたのは、四條縄手付近といわれるこの辺りである。合戦のあった四条畷(縄手)の位置は確定されていない。
明治政府は国民道徳の範を楠木正成・正行父子に求めて、南野所在の小楠公墓所は江戸期には30坪程であったが、明治11年には1町歩に拡大し、「贈従三位楠正行朝臣之墓」と刻する巨石碑が建立された。明治23年には楠木正行以下の殉難戦没将士を祀る四条畷神社が創建された。明治28年には浪速鉄道(現JR片町線)が開通し、参詣客を運んだ。参道沿いには旅館や楠公商店街ができた。
四條畷神社が著名になるに従い、甲可村の公共施設が順次四条畷を名に冠するようになり、昭和7年には甲可村の村名も四条畷村へと改称された。
さて、茶屋宿 伊勢屋は四条畷神社の参道を進み、入口階段横に建っている。境内とも思われる位置である。建物は大正期初めの建物と云われていて、お茶屋さんの建物。
国民の道徳心を鼓舞するために、創建された四条畷神社の参詣者の増加にともない、休憩所・お茶屋さんとして建築されたのだろう。そして太平洋戦中には、国民精神運動の発展に伴って、四条畷神社へ戦勝・武運長久を祈願する数多くの参詣者が訪れ賑わっていた。
終戦後、この建物は今の経営者が変わり、増築され旅館として再出発したもの。今は旅館になってから3代目の若女将が切り盛りしている。旅館内は今風に改装を施されていて、古くからのものは見当たらないのが、私にとっては残念だった。
若い女将と若いご主人が経営しているためか、旅行業者とのタイアップが蜜な上、リーズナブルな価格設定も相まって、宿泊予約が取り難い程、賑わっている宿であった。隣室との境は襖であったが、その襖一枚一枚は鍵で固定されて、開けられないようになっていて、その上一部屋空けての宿泊だったので、隣室の騒音も全く気にならなかった。
食事は家庭料理で女将が造っているのだろうが、量が多くて食べ過ぎ、酒も過ぎたようで、食後に下の居酒屋(スナック)に行く予定でいたが、それも辞めざるを得なかったのは残念だった。依って居酒屋の写真も撮り損なったのは残念。
(2015.9.23宿泊)


伊勢屋の入口部分

泊った部屋

大広間の床の間

入口部分の夜景

伊勢屋の夕景

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