三好市
勇楼旅館
徳島県三好市井川町辻288-5
電話 0883-78-2051 

勇楼旅館の前景

勇楼旅館の夕景

勇楼旅館の入口

  井川町辻の江戸時代は祖谷山・井内谷への渓谷集落として、当地方の交通・商業の中心地として、また、吉野川には辻の浜と称された川湊が置かれ、市街を形成していた。江戸中期から刻み煙草の製造・販売で繁栄し、人口の集中も見られ、辻町は市街の形状をなして商家400戸余りが立ち並んでいたという。
しかし明治31年の葉煙草専売法が実施され、当地方の煙草産業は壊滅してしまった。その後専業の養蚕農家も現れ活況を呈したが、第一次世界大戦の終了と共に養蚕も大打撃をうけた。
江戸期から明治期にかけて刻み煙草で繁栄した町並は約1km続き、卯建を備えた重厚な商家建物が続いている。
そんな中に勇楼旅館があった。正面手前の建物が明治30年頃建築の建物。奥の建物が昭和13年に旅館として建築されたもの。手前の建物は旧刻み煙草屋さんの主屋で、奥にあった刻み煙草工場と共に昭和10年に今の勇楼旅館に買い取られ、工場跡地に旅館建物として建てられたもの。
勇楼旅館の入口が街道に面してないので女将に聞くと、今の入口と街道の間には呉服屋さんがあった所で、そこを買い取って入口にしたとのこと。参考までに正面にある駐車場は映画館だったところと仰っていました。またかっての旅館入口は門と共にそのまま残っていたが、現在は使われていなかった。
泊った部屋は、かっての刻み煙草屋さんの座敷部分で、大きな二間続きの立派な部屋だったが、一人では余りに大きいので、床の間のある大きい部屋から、控えの間に引っ越して居場所や寝る場所とした。
二間続きの部屋だから、その間の襖の上部の欄間の彫刻も立派なものであったが、エアコンの効きを良くするためにビニールシートで覆われていて、チョット欄間写真を撮るのは躊躇した。
今、この旅館の切り盛りは女将と息子さんの二人で行われているようだったが、自宅は旅館建物とは別に大きな自宅を構えておられた。息子さんは時々手伝って居られるだけかもしれないが。
先日、合宿の生徒さんを泊めたとき、この部屋の床の間に先生方が長靴を並べていた。今の先生方は床の間も知らないのかと嘆かれていた。床の間も過去の意匠になってしまったのかとも思う。でも、書院造りの床の間にエアコンが設置されているので、一概に先生方を責めるのも。
女将が懸命に庭の大きな樹木(貝塚いぶき)を自慢しておられたが、確かに貝塚いぶきをここまで大きく樹姿を保つのは大変と思った。また、控えの間の襖の文字を読んでもらったが、余り関心が無く全て忘れ去ってしまい失礼なことをしたと思う。
(2015.9.3宿泊)


大広間

泊った部屋

泊った部屋の朝

二間続きの泊まった部屋

泊った部屋の控えの間

泊った部屋の床の間、床の間に明り取りがあった

昔使われていた旅館の入口

庭に大きな貝塚いぶきが3本

新館の客室

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