安芸高田市
いろは家旅館
広島県安芸高田市吉田町吉田1331
電話 0826-42-0009 

いろは家旅館前景

いろは家旅館の夕景

いろは家旅館の入口

 吉田の町は郡山城の城下町として町の基礎が形作られた。毛利氏全盛時には城下の人口は数万にも達し「西の京」「吉田千軒」ともいわれる状況だった。
江戸期、吉田は広島城下と山陰地方を結ぶ出雲路の宿駅となり、城下町から宿場町へと変貌を遂げた。
宿場町となった吉田は「国郡志書出帳」には吉田の家数908とあり、大路・小路の町並の両側にびっしりと町屋が建ち並んでいた。
明治に入ってからも郡の行政・経済の中心地となり、多くの基幹施設が設けられたが、鉄道が東側の谷筋を通ったため町の発展が遅れた。
古い町並みは江の川の支流の多治比川の左岸の本通と云われる通りの両側に展開し、昔ながらの伝統的な様式を備えた商家の建物が点在する。酒屋・呉服屋・菓子屋など古い町並みを代表する業種の商家が健在で営業されていて、その一角に古い町並を構成する建物で「いろは家旅館」が営業されていた。
道に面した部分は築300年を経た建物を、改築しながら営業を続けられているとのことで、大きな梁や棟木が見られ、階段部分には300年の経過を物語る虫食いの構造材も見られた。
旅館は創業150年と云うことで、江戸末期の創業のようだ。案内された部屋はなるだけ古い部屋と頼んでいたので、道路に面した右側の終戦直後に建てられただろう2階建ての一階部分だった。
この「いろは家旅館」は平成9年に火災で奥の部分が焼けてしまって、江戸時代からの建物は道路に面したところだけになってしまった。
でも、今は奥の部分に現代的なバス・トイレ付きの居心地が良さそうな部屋が建てられていた。
女将に頼み前の道に面した中2階部分を案内して頂いた。天井が無く屋根の太い構造材むき出しの部屋であった。当初の建築では屋根裏の物置程度の部屋だったのだろうと思われ、300年を経た建物と納得する。
前面左側の中2階建ての伝統的な様式の建物の中央にも入口があったようで、土間が奥に続いている。かってこの入口から料理屋として営業されていたような感じであった。
今、女将と主人の二人で切り盛りされている。丁寧に対応してもらえるのだが、私も宿の方も高齢のためかなかなかうまく会話が続かず、その辺のことを聞くにも躊躇して、入口などのことを聞く機会を逃してしまって残念だった。
(2016.1.7 宿泊)


いろは家旅館の古い部屋(大広間)

主屋の骨組

廊下から見た主屋の骨組

泊った部屋

泊った部屋

いろは家旅館の全景(右側のモルタル塗りの建物は終戦直後の建築でしょう)

いろは家旅館の前景の夕景

築後300年と云われる階段(構造材の虫食いに注目)

バス・トイレ付きの新築の部屋

前面左側の建物の中央が昔は料理店の入口だったと思われる。(私の想像)

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