延岡市
旅館本田屋
宮崎県延岡市北川町川内名7262
電話 0982-46-2005 

旅館「本田屋」の前景

旅館「本田屋」の夕景

本田屋の入口

 延岡市北川町川内名に「旅館本田屋」がある。明治22年川内名村と南の長井村が合併し北川村が成立し、村役場が川内名に設置された。その役場を中心に郵便局・営林署の出先機関・警察暑の駐在所・ 小学校・中学校・保育所・農協・畜産関係団体などが周辺に集まり、行政・経済・文化の中心地として機能した。昭和47年に北川町になったが役場の位置はそのままであった。
その北川町役場の直ぐ傍で「旅館本田屋」が昭和10年に創業した。この地は江戸期から炭焼きが盛んで、木炭生産高は宮崎県最大を誇っていた。そんな町の中心地に創業した「旅館本田屋」は地域の会合や宴会を一手に引き受けて、繁栄を続けていたようだ。
でも、今はダメになったと女将の話。平成の大合併で延岡市になり、役場が延岡に行ってしまい、出先機関が少し残っているだけになり、この地域から商店が殆ど無くなってしまって寂れてしまったと。15名いた町議会の議員さんも、今では延岡市の市議会議員さいが3名になってしまったと。
JR日豊本線も特急列車は頻繁に通るが、北川駅に止まる普通列車は日中には殆ど無い、その上、営業バス便もない。辛うじて延岡市のコミュニティバスが運行されていたが、思う時間に便が無いので、延岡駅前でレンタカーを借りて「旅館本田屋」にやってきた。
宿に着いたのは午後3時半頃、入口を入ると多くの靴が脱がれていて、奥の部屋に多くの方が集まっておられる。「こんにちは」と声を掛けると、奥に居られた男性が、奥さんは出かけられ、今は留守との返事。仕方なく宿の写真を撮っていると、多くの方々が入口から入って行かれる。男性も女性もおられる。
暫く経ってから再び声を掛けると、愛想良く女将が出迎えてくれた。これから地域の方々の新年会がはじまるので、奥の部屋でも良いし、宴会の隣の部屋でもいいのでと!!。宴会も午後7時過ぎには終わるとのことで、隣の部屋に案内願った。書院造りの床の間のある二間続きのなかなか立派な部屋だった。
この「旅館本田屋」は昭和10年の創業時の建物で、改装や修復をしながら維持しているとのこと。今は3代目で、切り盛りは3代目の女将と、女将の妹さんの二人で遣っておられる。ご主人はサラリーマンで時々は手伝ってくれるとのことで、顔を見ることが無かったと思う。
料理も全て女将と妹さんの二人でこなしているとのこと、昨夜のような30名もの宴会なら大変でしょうねと云うと、猪鍋だから、材料だけ並べればよいと呑気と云うか陽気なもの。
当日の宿泊者は私一人、食事場所は町の食堂のような感じの場所。どうも宴会の料理の一人前がそのまま並んだようだ。ビックリする程厚い刺身の盛り合わせや鮎の塩焼き2匹と数の子そしてメインの猪鍋。
問題はその猪鍋。一人でこんなに多く食べられないがと女将に云うとこれが田舎料理と笑っておられたが、実際は小さな鍋を用意するのが面倒だったので、宴会に出す4人用の鍋をそのまま出したようだ。材料も見栄えが良いように並べると、多くなってしまったというのが実情のようだ。
食べきれない猪鍋を温めて翌朝も出して貰ったが、普通の朝食の「おまけ」としての昨夜の猪鍋だから、これも食べきれずに最後には相当残す羽目になってしまった。
陽気で明るい女将とその妹さんの「ざっくばらんな」対応で、何の気がねもしない宿泊は最高に贅沢な宿泊と思った。
翌朝近くを歩くと、「旅館本田屋」の隣が漁業協同組合・前が商工会の事務所・駐車場を隔てて延岡市役所支所とまさにこの地域の中心地だったことが判る位置に「旅館本田屋」が位置していた。
(2018.1.9 宿泊)

ぜいた
泊まった部屋

廊下

別の部屋

泊まった部屋から見た前の道


食事場所、食堂のような所

書院のデザイン

書院のデザイン

欄間

泊まった部屋に置かれていた鏡餅

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