洞川温泉
花屋徳兵衛
奈良県天川村洞川温泉
電話 0747-64-0878 

花屋徳兵衛の正面

花屋徳兵衛の夕景

花屋徳兵衛の入口玄関

 古くからの女人禁制の修験道の根本道場である大峰山上参りの登山基地として栄えていた。
元来、大峰山の山上参りは、熊野から入るのを「順の入り」、吉野山から入るのを「逆の入り」といい、洞川からは登らなかった。山上ガ岳での「行」が終わると洞川へ下りてくるのが通例だった。洞川から登るようになったのはバスが洞川まで通じるようになってからである。
大峰山寺の本堂は、毎年5月初旬の戸開にはじまり、9月下旬に戸閉をしたのに合わして、洞川でもその期間だけ旅館や土産物屋・陀羅尼助の薬屋が営業していた。休業中は山仕事を生業としていたが、30年ほど前から温泉が出るようになり、温泉目的で来る観光客が増え、今までの季節旅館はなくなり、どの旅館も通年営業をするようになった。
古くから道路に沿って並ぶ旅館は、部屋や縁側を開けっ放しにしていて大変開放的である。これは大勢の講社の方々が一度に行者装束して出発できるように考えられたものである。
都会から遠く離れ、道路事情も良いとは云えないこのような土地で、過疎化とは関係ないように賑わった旅館街が展開している。胃腸薬の阿弥陀助を売る店も多く、活気溢れた温泉街である。
道路に面した旅館は全て木造の2階建てで統一されているが、余り古い建物が無いのは、昭和28年の大火でこの辺り一面に焼けてしまい、その後に建った建物のため。
洞川温泉は大峰山参詣の行者の宿泊施設から脱皮し、避暑地の温泉地として発展しているところ。
泊った宿「花屋徳兵衛」は創業500年と云われる洞川温泉で一番古い老舗旅館である。なんか、豊臣秀吉を手助けしたことがあって、この家に感謝状があったとか。今は火事で焼けてしまってないそうですが。
500年前と云えば戦国時代、凄い昔ですね。17代も続いている家系。今の建物は昭和28年の大火後に建てられたもの。
縁側を解放されていて、宿に着いた時にはこの縁側で、宿泊客でない観光客がお茶を飲んでおられた。かっては道に面した旅館の大部分が、縁側や部屋を解放されていて一度に多くの宿泊客の対応が可能なようになっていたが、今では個人客が多くなり、開放的な宿は少なくなっていて、隣の旅館「紀の国屋甚八」と2軒位になっていた。
夏の間は避暑のために宿泊客が多く訪ねる洞川温泉も、10月に入ると「ぐっと」少なくなると宿の話であったが、泊った当日は平日にもかかわらず殆ど満室状態だった。散歩がてらに温泉街を歩いて、他の宿の宿泊者の表示を見ても、約半分の部屋に宿泊者があるようで、少し寒くなっても結構賑わっている温泉街だった。
夕方、ほら貝の音色が聞こえてくる。観光客にサービスのために行者の出発時、帰着時に吹き鳴らしていたほら貝の音色を、拡声器から流していると思った。しかし、女将に聞くと、行者が山上ヶ岳に「行」に出発する際に、洞川龍泉寺で護摩を焚いて加持祈祷を行うために、新しい僧が「ほら貝」を吹く練習をしているとのことだった。
(2015.10.1 宿泊)


泊った部屋

泊った部屋

泊った部屋の縁側から見た風景

縁側を解放している花屋徳兵衛

夕景

一階の縁側の夕景

食事した部屋

一階縁側と入口

食事場所の部屋

廊下と階段

早朝泊った部屋から見た景色

入口近くの廊下に揚がっていた講社提灯

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