五條市 | ||
藤井館 | ||
奈良県五條市須恵一丁目10-4 電話 0747-22-2010 |
藤井館の正面 |
藤井館正面の夕方 |
入口玄関部分 |
紀州街道と吉野川、紀ノ川の水運によって開けた五條の町(須恵五條村)はすでに15世紀の初めに市場が開かれており、物資の集散地、在郷町、宿場町として栄えていた。 藤井館は旧紀州街道から分かれて旧五條村から北に向かう旧千早往還に沿って、明治・大正・昭和と五條村の商業の中心地として繁栄していた須恵に建っていた。 今道路に面した建物は鉄筋コンクリート造りの3階建てだが、かっては木造の建物が旧千早往還ぎりぎりに建っていたそうだ。案内された部屋は一番奥の部屋で、入口フロントから右手に中庭を見て進み、正面に大きな中庭を見て、二手に分かれた廊下を右側に進んで、更に左手に小振りの中庭を眺めて一番奥まった部屋に案内された。旅館の間口は25m程しかなかったが、奥に長くまた広がっていて、広大な屋敷を持つ旅館だった。建物は道に面した建物以外は全て木造2階建てで、宴会場や食堂・客室など、全ての部屋から三つある中庭のどれかが見られるようになっていた。建物は全て昭和期の建物との説明だったが、改修改造が良く施されていて、古い建物の割には快適な宿泊ができる様になっていた。 間口が狭いのに奥に多くの客室がある。非常時の避難はと心配したが、私の泊まって部屋の横に旅館の外に通じる非常口が設置されていた。 藤井館の歴史が紹介されています。江戸時代初期に河内国岩瀬から、大和国五條に来て卸問屋をはじめたのが初代小川九兵衛、屋号は河内屋でした。代々当主が名を引き継ぎ、「河九」と呼ばれ明治に至ったが、本業の卸問屋は昭和の初めに廃業されたようです。 藤井館は明治初期に藤井家から嫁いできた女性が、絶えた実家の姓を店の名前にして「藤井館」という料理旅館を副業としてやったのが始まりで、今に続いているとのこと。 卸問屋の本業業績が良かった時に、旅館の裏手の畑を手に入れて現在の基礎が出来上がったとのこと。 卸問屋の「河九」で6代、料理旅館の「藤井館」で5代の合わせて11代続く老舗旅館。 古い建物のままでは、宿泊客が来ないので、今に合わせて改造を繰り返している。古い備品などは土蔵に仕舞ってしまったとご主人の弁で、旅館内はなるほどその通りで、階段や梁、玄関部分にも伝統的な様式は残って居らなかった。唯一見つけたのは、食堂に置かれていた香炉台位だった。 ご主人の話の通り、当日の宿泊客は、女子高校生が20人以上の団体で泊まっていて、一般客は私ともう一人がいただけでした。 (2015.7.31宿泊) |
泊った部屋 |
フロントから奥に進むと最初に見える庭、亀が多くいた |
奥に進むと次に見える中庭 |
泊った部屋の隣の部屋 |
廊下の様子、奥に見えるのが中庭 |
廊下、右手は中庭 |
旅籠宿にしては珍しい部屋の鍵 |
泊った部屋の床の間の上部の飾り |
食堂に置かれたいた香炉台、熊の置物の台になっていた。 |