川上村
朝日館
奈良県吉野郡川上村大字柏木154
電話 0746-54-0020 

朝日館 左側は川側、右側は山側の建物

朝日館の夕景

山側の建物入口玄関

 古くからの女人禁制の修験道の根本道場である大峰山上参りの登山基地として栄えていた。
元来、大峰山の山上参りは、熊野から入るのを「順の入り」、吉野山から入るのを「逆の入り」といい、柏木から登っていた。そして山上ガ岳での「行」が終わると洞川へ下りてくるのが通例だった。洞川から登るようになったのはバスが洞川まで通じるようになったのと、柏木からだと5時間かかる行程も、洞川からだと2時間半で登れ、急坂が少ないこともあったようだ。
大峰山寺の本堂は、毎年5月初旬の戸開にはじまり、9月下旬に戸閉をしたのに合わして、柏木でも旅館や土産物屋が営業していたが、東熊野街道の宿場としても機能し他に山仕事を生業としていた。
川上村でも村役場所在地の迫集落に次いでの商業地として発展していたようで、旧東熊野街道(旧169号線)に沿う集落を歩くと、旧商店の建物ばかりが軒を連ねているが殆どは無住になっている。又、住んで居られても商業は廃業されていた。そんな町並の一番南端の旧東熊野街道の両側に旅館「朝日館」の建物が街道に覆いかぶさるように建っている。
旧街道より川側の建物は今は旅館として使用されてないようで、山側の建物のみが旅館として使われていた。
午後4時頃に到着すると伝えていたが、到着したのは午後3時。いらっしゃいませと出てきた女将に早過ぎますかというと、チョット準備ができてないがお部屋へはどうぞと案内してくれた。玄関を入って階段を上ると、手入れの行き届いた綺麗な中庭が目の前に広がる。あれここは2階だのにと思うが、散策できるように履物まで備わっている。急な傾斜地に建てられた建物だから、建物の片側に山が迫っているのだ。
案内されたお部屋は何時ものようにお願いしていた街道筋の部屋。部屋の準備は完璧だがと思うが、エアコンが入ってないと女将が慌ててエアコンを操作している。到着時間に合わせて部屋を暖めておく心遣いが出来ていないと云うことらしい。
暫くして、お茶とピンク色した羊羹が出された。ピンク色した羊羹は珍しいと聞くと、柚子羊羹で自分で造っているとのこと。甘さを抑えた美味しい羊羹だった。この羊羹の写真を撮るのを忘れたので、帰りに買って帰ることにした。
朝日館は創業130年以上と云われている。街道に面した両側の建物はその当時のものというから、明治中期の建物という。山側の一番上の建物は大正初期の建物で一番新しいとのこと。勅使も泊ったことがある部屋だそうですが、案内してもらった女将に、部屋食の食事をここまで運ぶのは大変ですねというと、毎夏に囲碁の方々がこの部屋指定で泊まりに来られるのですよとのこと。この旅館で一番よい部屋で綺麗に整備されていて、何時でも宿泊OKの状態だった。
2階の中庭が見られる廻り廊下のガラス戸のガラスが明治期のガラスで外の景色が歪んでみえる。それも一枚や二枚じゃなくほとんど全部と云っていいくらい。歴史ある旅館建物が綺麗に整備され完璧な状態に保たれている。建物の維持管理も大変だろうが、女将の行き届いた掃除・清掃には驚く旅館だ。
朝日館のことを掲載された雑誌などが、玄関に置かれていたのでみていると、ここで造られる柚子羊羹はカマドで炊いているとあり、ぜひとお願いしてカマドも見せてもらった。旅館の裏方まで見せて頂いて感謝感謝。
私は各地の古い宿を泊まり歩いているが、この旅館ほど泊った部屋以外の全ての部分が綺麗に掃除されている旅館を見たことが無いとおもう。泊った当日は女将一人の対応だったが、よほど綺麗好きの女将なのだろう。一泊の宿泊に感謝 感謝。
(2015.11.2 宿泊)


川側建物の入口玄関

山側建物の2階部分の中庭 ガラスが歪んでいた 廊下の光った艶は見事

山側建物の2階部分の中庭 ガラスが歪んでいた

旧街道筋の泊った部屋

旧街道筋の部屋

中庭に面した部屋

続き間の中庭に面した部屋

山側一番高い所の部屋

泊った部屋の街道側の廊下

泊った部屋の街道側の廊下 雑巾がけしているそうです

大峰山行者の講札

レンガ造りのカマド 現役です。宿泊者が多い時にはこのカマドでご飯を炊くそうです。
柚子羊羹を造るときは勿論使いますとのことでした。
 
川側建物の急な階段

旅籠宿に泊る西日本に戻る