龍神温泉
有軒屋
和歌山県田辺市龍神村龍神39
電話 0739-79-0013 

有軒屋の前景(右に見えるのは上御殿の建物)

有軒屋の夕景

有軒屋の入口

  紀伊田辺市龍神村は和歌山県の中央東部、日高川の最上流地域にある。群馬県の川中温泉、島根県の湯の川温泉と共に「日本三美人の湯」として知られている。
開湯は約1300年前とされ、役小角が発見した後、弘法大師が開湯したとも言われている。
江戸時代には紀州藩とも関わりが深く、藩主が湯治を行うために、初代藩主徳川頼宣が宿舎を造らせた。
ただし、藩主の湯治は実現したかどうかは不明だが、殿様用の建物は上御殿、家来用の建物は下御殿と云い、それぞれ旅館となり現在も続いている。
有軒屋は上御殿と下御殿の間にあり、寛永16年(1639)創業と云われている。龍神街道に面した入口玄関を入ると、土間の響きがチョット変わっている。平屋建てだと思った玄関棟は2階建てで、2階が正面入り口になっていた。
案内されたのは正面入り口を奥に進み、階段を降り、新館の廊下を進み、また階段を降りた廊下の端の日高川に面した部屋。予約時に街道に面した部屋と希望したが、客室として使ってないからダメとのことだった。
街道に面した玄関のある建物(昭和17年築)の奥まった良い部屋を見せて頂いた。二間続きの部屋で、今は日高川の眺望は望めないが、下に建物が建ってない時には一番眺望のきく部屋だったのだろう。
旅館に着いて直ぐに一番下にある露天風呂に入った。入浴中の表示を出しておけば広い浴槽を独り占め。さて部屋への帰り、外の階段を上っていると、人の話し声が聞こえると上を見ると客室がある。
こんな所に客室がと思うと、その上が駐車場になっている。何気なしに留めた駐車場は客室の上であった。玄関の建物の下の崖に沿って別棟が建てられていると思ったが、駐車場の下も客室が連なっていた。上御殿と下御殿に挟まれた古くからの湯治場だったことが判る。
旅館は女将とご主人が切り盛りされているようで、応対されるのは女将一人であって、厨房にはご主人が居られた。今は11代目以上とのことで、ハッキリと判らないそうだ。
女将が龍神温泉の資料を見せてくれた。資料を写して2枚の写真を掲載している。大正末期~昭和初めの写真と思われるが、龍神温泉で一番賑わっていた「えびすや旅館」の建物も見られる。上御殿の建物も今にそのまま残っている。龍神街道は有軒屋と上御殿の間が階段になっている。この一連の写真の中でガス灯や電柱が写っているので、時代考察が容易だと思うが、昭和初期位しか私には判らない。
肝心の温泉は炭酸水素塩泉で少しヌルーとした感じで、美人の湯としての来訪が多いそうです。
(2016.11.21宿泊)


泊った部屋は川に面した部屋

道に沿った木造建物の奥側の部屋

道に沿った木造建物の奥側の部屋

木造の建物の廊下

木造の建物の廊下

木造建物の階段、一階から下に降りて行く

露天風呂

玄関に上がっていた有軒屋の屋号看板

泊った部屋から見た早朝の日高川と下流の下御殿の建物

昔の電話室、さすがに電話機はなく物入れになっていた。
扉に写っているのは前に続く廊下の景色

大正末期~昭和初期頃??の有軒屋前の様子、左側の檜皮葺の家、その奥が上御殿。
上御殿の前の建物は「えびすや旅館」の建物、今は上御殿の駐車場になっていた。

右側奥の建物が上御殿の建物その奥に有軒屋がある筈だが見えない。
前の道が龍神街道

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