岩井温泉
明石家旅館
鳥取県岩美郡岩美町岩井536
電話 0857-72-1515 

明石家旅館の前景

明石家旅館の夕景

明石家旅館の入口

  岩井温泉の明石家旅館は元和元年(1615)創業とある。今は14代目とのことで、旅館の玄関を入ると1615年創業とのプレートが宿泊客を迎えている。
開湯は貞観元年(859)とあり、鎌倉時代末期の戦乱によって温泉は廃れていたようだが、これを再興したのは江戸時代の鳥取藩主池田光仲である。京都と山陰を結ぶ街道筋に当たり、湯治客の集まる温泉町、街道の宿場町として栄えた。江戸時代の半ばの寛政期(1789~1801)には16軒の旅籠が並び、藩主専用のものも含めて8ヶ所の温泉があった。
明治末期に鉄道が通じると、京阪神からの湯治客が増大し、大正時代には軽便鉄道も通じて客を運んだ。
明石家旅館は前述のように、元和元年(1615)創業とあるが、本当だろうか??、何かの資料でそのように公表しているのだろう。でも、岩井温泉には江戸期に湯庄屋が置かれ給米2石が支給されてていて、その湯庄屋を勤めたのは明石屋旅館の山本家というから凄い名門の家柄。
昭和9年(1934)の大火で岩井温泉は殆ど焼けてしまった。明石家はその直後に建て直されたようだが、、次第に戦時色となり復興がままならないまま、昭和16年12月に第2次大戦がはじまると明石家は国鉄の寮として売られてしまった。敗戦後の昭和26年に岩井温泉の復興を願って岩井観光協会が結成され、昭和29年には明石家の山本太郎氏が度重なる交渉で、明石家を国鉄から買い戻して、岩井温泉の復興に貢献した。
明石家旅館は昭和10~11年頃の再建とのことで、少しは昭和初期の様子が見られると期待したが、建物外観は昭和初期の様相であったが、3階の客室以外は時勢に合わせて、改造を繰り返しているので古さを感じられずその点では期待外れだった。
案内されたのは頼んでいた通りの旧街道に面した部屋だった。もっと古い感じの部屋だと思ったが、と案内してくれた女性にいうと、予約時にそのことを云って貰えば3階の改造してない部屋に案内できたのに!!と。部屋は8畳+6畳と入口の部屋、トイレと洗面所がゆったりとられた部屋で、6~7人は泊れるような部屋だった。
改造を繰り返して、現代風にされているので宿泊客は多く、帰りのチェックアウト時の靴を数えると19人の宿泊者だった。
当日の宿泊も旅館側の都合の日時決定である。もともと部屋が二間続きで大きく一人客を受け入れないとのことだが、是非にと頼んで旅館の都合の良い日を選んでもらっての宿泊だった。
今、岩井温泉には3軒の古くからの老舗旅館が営業されている。私が宿泊対象にしているのは少なくとも明治期以前の創業で3軒とも宿泊対象になるが、どこも一人客を受け入れてない。その中で受け入れてくれた明石家旅館に宿泊したもの。
館内入口近くに、昭和9年の岩井温泉大火前の明石家旅館の写真が展示されている。3階建ての大きな建物が写真に写っている。このような3階建ての大型建物は当時では珍しかったと思われ、岩井温泉で威容を放っていた明石家旅館の雄姿が思われる。
(2017.10.29宿泊)


泊った部屋

泊った部屋から見た外の景色

他の部屋

他の部屋

他の部屋の天井

階段

庭の奥にある露天風呂

夜の露天風呂

露天風呂への通路
 
夜間の露天風呂への道
 
大火前、昭和初年の明石家の建物

大火前の建物の鬼瓦(焼けたためか陶器のようだった)
 
左は一階入口の懸魚の亀、右は3階の懸魚の鶴

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