高梁市
油屋旅館
岡山県高梁市本町38
電話 0866-22-3072 

油屋旅館正面

夕方の油屋旅館正面

夕方の油屋旅館玄関

  備中松山城は現存する山城としては、日本一高い場所にあることで有名で、その城下町として寛永19年(1642)から元禄6年(1693)に水谷家三代によって松山城の修復、高梁川の川開き、城下町の整備などが行われた。
主な交通機関は、高梁川を上下する高瀬舟で、高梁は産物集散の要地であった。旅人たちも多く集まり商家も賑わった。
伝統的な商家や町家が軒を並べるのは本町筋で、本町・下町・南町などにその名残が見られるし、河岸の土蔵にも当時の繁栄がうかがえる。
今、油屋旅館の正面入り口は高梁川と並行して走る国道180号線と313号線と重複した4車線道路に面しているが、昭和37年に岡山県で開催された国体に合わせて本町通りにあった入口を高梁川筋の国道側に変更したそうで、今本町筋側は生活のための出入り口になっている。
かっての高梁川は今の国道の半分くらいの所まで砂利があり、細い道が通っていて、油屋旅館の今の正面が裏側だったそうだ。客室からは良く高梁川の流れが見られたそうだが、高い堤防が築かれ、今では3階に登ってもあまり川面が見えない状態になっている。
油屋旅館の先祖が寛文10年(1670)に文武宿の「花屋」を開いたのが始まりで、幾多の変遷を経て今の油屋旅館になっているとのこと。
3階建ての建物は明治期の建物で、与謝野鉄幹夫婦や獅子文六など、又近い所ではと澤 明監督も泊り、山田洋次監督も泊って「男はつらいよ」の撮影をしたとのこと。
車の音は構わないので道路側の部屋と指定して案内された部屋は、3階建ての2階部分の右側の部屋。
車の多く通る道路に面しているから、さぞ煩いだろうと覚悟して泊まったが、窓は2重のサッシュ構造になっていて思ったより静か。古い建物でも改造されていて、トイレと風呂が備わっている部屋、チョット意表を突かれた感じだった。本当は3階部分に泊りたかったのですが、消防法により宿泊が禁止されているとのことだった。
この宿も経営者が高齢の問題を抱えていて、少なくともあと5年は続けたいのだがと仰っていました。尚、この油屋旅館はアユ料理で有名な旅館で、2月初旬の真冬に訪ねたにもかかわらず、1月下旬に獲れたアユといってアユの塩焼きの料理が出されたのには驚いた。
(2015.2.2宿泊)


   泊った部屋 油屋旅館の古い建物の2階

古い建物の2階から3階への階段、自然木の手摺

与謝野鉄幹が泊った部屋古い建物の3階、今は宿泊不可能

古い建物の2階から3階に登る階段

応接室に飾られていた槍

古い建物に入る廊下に下げられていた暖簾

飾られていた槍の鞘、旅館当家の家紋だそうです。

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