掛川市
八百甚旅館
静岡県掛川市横須賀113
 電話 0537-48-2008

八百甚旅館の前景

八百甚旅館の夕景

八百甚旅館の玄関入口

 江戸初期、城下町横須賀の南方一帯が入海であったといわれ、横須賀港として発展し、江戸中期までは海上輸送の中継地として繁栄した。しかし大地震による地盤の隆起で港としての機能が無くなり、以後は浜街道(横須賀街道)による陸上輸送になった。
町並は東西に走る旧横須賀街道にそって発達している。横須賀街道はほぼ一直線で、城下町らしい町並で、切り妻造り平入り・中2階建てで格子を備えた商家の建物が点在している。造り酒屋、醤油の醸造元、呉服屋、提灯屋さんまで、城下町当時の面影を残す町並の中に八百甚旅館があった。
横須賀のシンボル的な建物で、創業は江戸末期とのこと。古い町並形成に一番寄与している建物である。入母屋造り妻入りの旅館建物。説明できないほど入り組んだ構造になっている。正面の入母屋建物は昭和5年の建築だそうですが、東側の列の建物は奥の部屋や改造された大広間・3階建て部分も含み明治後期の建築と云うことです。
玄関は広い土間になっていて、一部土間が奥に続いている。太い欅の柱があり、大きな柱時計が掛けられていたが時計は止まっていた。その横の階段もこの宿に相応しい演出をしている。また、天井も構造材をむき出しにしたままで、見事な力強さのある構造を演出している。
女将に案内された部屋は、頼んでいた旧街道に沿った部屋で申し分ない部屋。おまけに続きの二部屋を使っても良いとのこと、二部屋とも床の間を設えた独立した部屋。只、昔の建物で独立した部屋と云っても仕切りは襖一枚。建物正面から見て街道に沿った二部屋で、生の花が活けられていて、女将の心遣いが感じ取れる素晴らしい旅館だった。
通された部屋から奥に部屋が並び、一番奥に立派な瘤のある床柱を持つ部屋がある。窓を開けるとスナックのエイトとビジネスホテルのエイトの建物が目の前。女将に聞くと庭があったのですがエイトを建てるために潰してしまったと。
食事は入口玄関の左側の平屋の部分で頂いた、この部屋は元々女中部屋だったところとのことで、その奥が調理場になっていた。全て女将との接触だったが、調理場にはご主人と娘さん??も居られ、3歳位のお子さんの声が聞こえていた。
この宿の特筆すべきは価格に比して料理内容が良かったことです。予約した時から一切の値段の話は無かったので、宿泊代を幾らと云われるだろうかと思っていたが、考えていた価格帯の半分程度で、ホントにこれで良いのとチップを弾んでおいた。
(2015.12.14宿泊)

入口玄関の天井

泊った部屋

泊った部屋

この様に二間の続き部屋に宿泊した

入口に降りる階段

奥の客室 杉の瘤のある床柱

杉の木だそうですが、このように瘤が多くあります

奥の客室の天井 屋久杉が使われていた

旅館の中程にある客室、4間続きでそれぞれの部屋に床の間が備えられていた
 
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