望月宿
旅籠 山城屋
長野県佐久市望月188-1
電話 0267-53-2014

山城屋の前景

山城屋の前景夕景

山城屋の入口玄関

  当初望月宿は鹿曲川の右岸にあったが、寛保2年(1742)の大洪水で宿駅が流されてたので、その後、左岸の現在地に移転したもの。
宿長さ6町余りの宿でほぼ中央北寄り中山道の西側に本陣大森家、その北の東側に脇本陣鷹野家があり、その北に真山家があったが、本陣の跡には望月歴史民俗資料館と大森小児科医院が建ち、脇本陣の建物も改装されていたが残っている。真山家は国の重要文化財に指定されて残っている。
天保14年(1843)の中山道宿村大慨帳では、宿長さ6町余り、家数82、人数360、本陣1、脇本陣1、旅籠9、問屋1とある。
その旅籠の一軒だった「山城屋喜左衛門」が、今でも「御宿 山城屋」として旅館業を営んでおられる。
現在の位置に居を構えたのは明治6年から工事を始め完成したのは明治14年という。今の当主は36代目か37代目でハッキリと判らないとのこと。そして奥の鹿曲川に沿って建てられた建物は大正期になってからだそうです。
骨組はそのまま残し、改造や修復は繰り返されていて、奥の鹿曲川べりの客室以外は障子襖の予想に反して、ドアーや壁そしてベットまでセットされたいた。でも玄関を入った所が2階まで吹き抜けになっていて、大きな構造材のチョンガで傷られた跡が見事であった。かっては1階も2階も格子が設置されていたが、今は2階の一部だけになってしまっていた。
今、ご主人一人で旅館の切り盛りをされているようだった。先代から受け継ぎ20年ほど前から旅館経営を始め、現在68歳だが、もう10年は営業を続けたいと何度も仰っておられたが、後継ぎが無いのでもお終いだそうです。
初回この望月宿を訪ねたときには中山道沿いに、袖卯建・格子・出桁造り・土蔵造りの町家がもう少し多く残っていたと思ったが、今回旧宿場町を歩いたら、往時の宿場町の名残は感じられるが伝統的な家屋が少なくなっていた。               
(2016.10.17宿泊)

泊った部屋、街道に面した部屋を希望した

大正期に建てられた奥の建物の客室

明治期に建てられた街道に面した建物の奥の部屋

明治期の建物のガラス戸はユラユラと像が歪んでいた

玄関入口は吹き抜けの天井になっていた

夜間の玄関入口

梁などの構造材はチョンガで削られた物だった。

一番奥の客室から見た風景

奥の客室から見た庭

山城屋嘉左衛門の看板

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