伊勢市
山田館
三重県伊勢市本町13-1
電話 0596-28-2532

山田館の表の外観

表の夕景

玄関入口

  伊勢神宮の参詣客はお蔭参りの影響で、爆発的に増加したこともあり、外宮先祭の慣習から外宮周辺の御師宅は超満員状態だったが、明治初年の御師制度の廃止と、交通手段の発達によって伊勢参宮の方法も変化し、御師宅での宿泊が無くなり、新しくできた旅館への宿泊に変わっていった。
明治30年に参宮鉄道が開通し、山田駅から伊勢神宮外宮まで約300mの参道ができ、旅館・食堂・土産物屋が建ち並び、山田駅前通り旅館街が誕生しました。明治36年には神都線という路面電車が伊勢市駅(旧山田駅)から外宮そして内宮までと、二見までの路線が開通した。そんな中、大正初期に食堂兼旅館の山田館が創業されたのです。まさに伊勢神宮参拝の変化の中で誕生した旅館であります。
山田館の外観は特異な形態の木造3階建ての建物。伊勢市のランドマーク的な旅館建物として名が知られ、伊勢神宮外宮の参道で異彩な光景を放っている。
案内されたのは表の通りに面した部屋であった。正面入口に面した間口のまま、奥に奥にと、小さな中庭の左に右にと部屋が続き、奥行きが随分長く一番奥は鉄筋コンクリート3階建ての建物になり、鉄筋コンクリート造りの客室は県道32号線に面していた。
建物は旅館中程の古い建物を残して、昭和2年に木造3階建ての現在の外観の建物が増築され、修理や補修をされながら今も客室として使用されている。
大正時代から昭和初期にかけては随分賑わい、伊勢駅から外宮までの参詣道沿いには、多くの旅館が建ち並んだが今はすっかりと様変わりして、当時の旅館で残っているのは、外宮前の「つるや旅館」と「山田館」のみになってしまったと女将の話。でも「つるや旅館」は建物が近代化されているので、昔のままの伝統的な建物の旅館は「山田館」のみの様だ。
前の道路に面した部分が全て開かれるような構造で、長く広い上がり框が設置されていた。伊勢講などの大勢の参詣客にも対応できるようになっていたが、今は中程の一部しか玄関入口とし使用されていなかった。今は旅の形態が家族や小さなグループになっているので、広く長い上がり框を持て余している状態だった。
WEB集団「いらかぐみ」のメンバーの一員として、この表に面した3階建て建物の2階部分に宿泊したものです。建物は90年近く経ったものだから、それなりに老朽化しているが、階段・廊下や間取り・装飾・意匠など風格と伝統が感じられ伝統ある旅館だなあと思いながらの宿泊だった。
泊った部屋の窓から外を見ていると、山田館の特異な外観をみて多くの参拝客がカメラを向けている姿が見られ、誰が見ても特徴ある建物として映る様である。
我々宿泊客の対応にあたって頂いたのは、昭和32年生まれの女将と、多分お子さんと思われる女性の
二人で、料理はご主人が担当しておられるのだろうが、一度も顔を見なかった。食事中に女将にこの旅館は御師の家ですかと聞いたがそうでないようで、今の女将で4代目だそうです。
当日の宿泊客は我々のグループ7名の他に、6~7名程度の宿泊客が居られたと思いますが、新館の鉄筋コンクリートの部屋に泊られたようで、木造3階建ての本館に泊ったのは我々のみだった。
このような伝統ある様式の旅館には、外国人の宿泊者が多いと予想していたのだが、当日は外国人の姿を見ること無く、英語や中国語の表示も無かったので、外国人には知られていないようだった。
山田館の前にタクシーの営業所がある。写真を撮っている時にタクシー運転手が、この道を路面電車が走っていたと云っていたので調べると、昭和36年まで路面電車が走っていたようで、その後はバスが運行されていて、伊勢市駅・外宮・内宮・二見浦の間は頻繁にバスが運行され参拝客を運んでいる。
この旅館で特筆すべきは料理の内容で、宿泊価格にしてはこれで大丈夫と思えるほど立派で高そうな料理が次から次へと二つ並んだ御膳に並べられ、美味しい料理を食べる至福の時を過ごしたが、チョット食べ過ぎた感じだった。
(2016.6.4宿泊)

宿泊した部屋

別の部屋

別の部屋

食事した部屋(朝食後の写真)

廊下(右側は食した部屋)

廊下(左側は客室)

小さな中庭(翌朝は雨だった)

廊下と階段(右の階段は3階へ、中央と左側は1階への階段)

食事した部屋の欄間

夕方宿の外に出るとこの様な光景だった

泊った部屋からの眺め、翌朝目が覚めると雨が降っていた。
 
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