小谷温泉
山田旅館
長野県北安曇郡小谷村中土18836番地小谷温泉
 電話 0261-85-1221

山田旅館の入口近く

入口近くの夕景

玄関入口

  武田信玄の家臣 岡田甚一郎によって発見されたという小谷温泉は450年以上の歴史を持つ温泉です。
源泉は熱湯・元湯・新湯と三つあり、熱湯は「あつ湯 熱泉荘」で使用され、元湯と新湯は「山田旅館」で使われています。
開湯以来湯治場として親しまれてきた温泉に、山田旅館がある。今は21代目の山田誠司夫婦が旅館の経営に頑張っておられ、湯治場も信州では珍しく自炊湯治場としても機能している。
JR大糸線南小谷駅から小谷村村営バスに乗ること35分で山田旅館前に着く。南小谷駅から随分登ってきて標高850mだそうだ。
建物は江戸期建築の本館・大正3年建築の新館・平成元年に建築された別館が主な客室ですが、他に明治年間に他から移築された建物や湯治棟・明治42年建築の土蔵を使った資料館・旅館の中心と思われる所に土蔵などがあり、木造建築6棟が国の登録有形文化財に指定されている。大正3年に建った建物が新館と云うのだからこれも凄いこと。
案内された部屋は大正3年建築の新館(3階建て)の2階部分、建築年から見ると大変老朽化が進んいる??と思いましたが、部屋に入ってビックリ。20年~30年ほど前に建てられたと思えるような建物で、戸襖の狂いも殆ど見られませんでした。
元湯の源泉は、明治時代にドイツで開かれた万国霊泉博覧会に日本を代表する温泉として、登別・草津・別府・小谷の4つが出泉された程の源泉。その源泉の姿を守り、新しく開発することもなく、自然湧出しのまま掛け流し温泉として使用されている貴重な温泉。庭には飲泉場までも設けられていてた。
当日の宿泊者を全て新館の2階に集めているようだった。部屋には冷房設備がなく、当然エアコンも設置されて無くて、扇風機が置かれていた。夏の暑さもクーラー無しで大丈夫なんでしょう。豪雪地帯ですので、冬の暖房はストーブだけでしょうね。
江戸期の建物 本館の部屋を、20代目の大女将に案内して頂いた。一階の奥まった 本館客室には西郷隆盛の弟西郷従道が当館で湯治中に書いた書が掲げられていた。
旅館経営者はこの旅館に住んでおられる。昔は秋の終わりに冬中の食料などを買い溜めして、越冬していたが、今は道路ができ、除雪されるので孤立することは殆ど無いそうだ。
新館の建物の写真で、前に池のようなものが写っている写真がある。かっては池があったが今は埋められたものと思い、大女将に何時頃池が埋められたのですかと聞いても、返事の内容がおかしい。よく聞くとこの池は融雪のために毎年掘っては温泉を通して融雪し、春になると埋め戻すという作業を繰り返しているそうで、大変な作業だということが判った。頭の下がる思い。。
私が大女将!!と話しかけると21代目が立派にやっているから、私は大女将じゃないとの言い訳を何回も繰り返しておられた。
夕食時に「天ぷら」を運んで来た料理人が、先ほど裏山で山菜を採り天ぷらにしたものとの説明があった。翌朝旅館の全景の俯瞰写真を撮ろうと裏山に登ると、小さな畑が造られていた。そしてこの裏山が終戦後直ぐにスキー場となり、東京のいろんな大学のスキー部の合宿が当旅館で毎年開催されていたとの大女将の話だった。
泊った部屋にトイレは付いてなかったが、別館の客室にはトイレが付いているようであった。トイレ云々よりも山間の一軒宿の掛け流しの温泉。歴史・雰囲気・温泉・料理のどれをとっても最高のもの。この小谷温泉山田旅館には度々訪ねたい衝動に駆られる旅館宿泊だった。
(2016.9.7宿泊)

泊った部屋

囲炉裏の間(茶の間)

江戸期建築の本館室内

本館客室に上がっていた西郷隆盛の弟西郷従道が
当館で湯治中に書いた書が掲げられている

江戸期建築の本館表側の廊下

奥の3階建ては大正3年建築の新館、手前の2階建ては明治期に他から移築した建物

右手の建物が江戸期の建物の本館

右手の建物が明治42年建築の土蔵を改造した資料館、
奥の建物が江戸期建築の本館を妻側から見たもの

男性用展望風呂

書籍 小谷温泉賛歌 の中のページ
融雪のための池が見える

山田旅館の本館・新館部分、新しく建てられた別館はその右側

夕方の山田旅館入口

夜間の建物の一部
 
旅籠宿に泊る東日本に戻る