みなかみ町 法師温泉 |
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長壽館 | ||
群馬県みなかみ町永井650 電話 0278-66-0005 |
長寿館の入口部分(本館) |
入口部分の夕景 |
玄関入口 |
関東と越後を結ぶ三国街道を行く旅人を癒す温泉として賑わった猿ヶ京温泉から更に奥、群馬県・新潟県境にある三国峠に佇む秘湯の一軒宿の法師温泉長寿館。旧国鉄フルムーンCMで有名な上原謙と高峰三枝子の混浴シーンの撮影場所。当時のポスターが館内に貼られている。 猿ヶ京温泉から町営のコミュニティバスで約15分。終点が長壽館だから長壽館の送迎バス状態だ。 玄関に向かうと、江戸期そのままと思える建物入口が出迎えてくれた。玄関のある本館入口を入ると、巨大な木製の火鉢が迎えてくれる。通された部屋は頼んでいた通り本館の部屋。天井に大きな梁が露出していたが、床の間は無かった。この本館は明治8年の創業時に建てられた建物で、高級な湯治宿として建てられたような感じの部屋だった。泊った隣の部屋は与謝野晶子が泊まっていた部屋で、矢張り床の間は備わっていなかったが、天井の大きな梁を見せていたのは私の好む意匠。 長壽館には他に昭和15年に法師川沿いに建てられた別館もあるが、ここも床の間が備わっていなく、天井の梁も見られなかった。この別館・本館そして明治28年建築の法師の湯の建物が国の登録有形文化財に指定されている。建物は他に法師川沿いの薫山荘、本館玄関に対峙した山側の法隆殿等の建物が客室として使われている。 本館の建物で一番格式高く古く感じるのは玄関入口部分だろう。直径2mは越えている樹齢1300年以上の栃の木の巨大な火鉢や柱時計、神棚、天井からぶら下がったランプ。上を見れば明かり取の天窓が煙り出しの先に。隣の部屋は囲炉裏の部屋で、囲炉裏に火が入れられていて煙が出ている。長年焚かれた油煙により囲炉裏上部が真っ黒になっている。ここで何人の宿泊客が接待を受けただろうか。と見ていると従業員の女性がお茶をどうぞと差出てくれた。 長壽館の客室の配置は入口玄関棟が本館、奥に進んで法師川を渡り廊下で渡った右側が別館、左側が薫山荘。本館の2階から別館への反対側の渡り廊下を渡ると法隆殿となり、宴会場や食堂は法師川を渡る手前左側にあった。 長壽館の一番の売りは「法師の湯」だと思う。温泉が流れ込み大きな湯船から溢れたお湯が流れ去る。石を敷き詰めた湯船底からは、時々ブクブクと泡が出ている。このお湯は男女混浴だそうですが2度とも大きな浴槽を独り占め状態でゆっくりとさせて頂いた。 女将と話す機会があり、今は6代目だそうです。入口入ったところの柱時計の上に大きな片目のだるまが置かれている。女将にこのだるまは伝統ある玄関には不釣り合いじゃないですかと話しかけると、高崎市辺りの名物になっているので!!とのこと。毎年1月15日に敷地内の恵方の場所で燃やすらしいです。 一人宿泊だしそろそろ寝ようかなと思っていると、拍子木を打ち鳴らす音が聞こえてきた。拍子木の音だけだが館内を「火の用心」のために毎晩廻っているそうで、古い木造建築のため、火の用心に宿泊者も注意して欲しいとのことらしい。 三国街道永井宿からも随分山奥に入った三国峠麓の法師温泉長壽館。交通の便は良いとは言え無い位置にありながら、当日も多くの宿泊客で賑わっていた。秘湯の鄙びた温泉を求めて多くの方が訪ねられているのはそれだけ人を引き付ける要因があるのだろう。温泉だろうか、秘湯だからか、料理が良いためだろうか、時間がゆっくりと過ぎる感覚だろうか。それぞれの要素が噛み合って人の心を癒しているのが最大の要因と思われる宿泊だった。 (2019.5.9宿泊) |
本館の泊った部屋 |
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本館の泊った部屋、見える建物は法隆殿 |
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泊った部屋の天井 |
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泊った部屋の縁側部分 |
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泊った部屋の隣、与謝野晶子が泊まっていた部屋 |
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別館の部屋 |
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入口玄関内部 |
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入口玄関内部 |
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入口玄関の明かり取り(天窓) |
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法師の湯 |
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本館の建物 |
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別館の建物 |
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本館と別館を繋ぐ渡り廊下 |
本館廊下 |
本館廊下 |
廊下 |
本館の囲炉裏の煙が出ている |
囲炉裏の部屋 |
長年の煙で油煙が付いる囲炉裏の上部 |
囲炉裏の間の煙抜き、もやっているのは煙 |
本館の与謝野晶子の部屋の天井 |
泊った部屋の控の間のランプ型の照明 |
法師川の両側に建つ長寿館 |
長寿館へのアプローチ |
古風な入口 |
泊った部屋の縁側にあるテーブルの模様 |
玉城の湯 |
本館(右)と法隆殿を繋ぐ渡り廊下 |
別館の夕景 |
渡り廊下(本館と法隆殿) |