上越市
旅館附船屋
新潟県上越市中央1-2-16
電話 025-543-2262

旅館附船屋の正面

旅館附船屋の正面夕景

旅館附船屋の入口玄関

  上越市中央町2丁目から4丁目辺りは一般には直江津として知られている。この一帯は江戸時代には直江津今町と言われ、湊をもつ商業地であった。高田城下の外港として港の機能は整備され、西廻り航路(北前船)が盛んになるにつれて、湊としての直江津今町の重要性も増していった。
附船屋辺りは江戸時代は砂山村と呼ばれていた所で、直江津今町の南に位置し、高田城下と直江津今町を結ぶ道が通っていた。文政12年(1829)に直江津今町の海岸沿いの家が波の被害を被るので、この地に移転して来た。多分この時に湊近くから今の地に移転してきたのだろうと女将の話。文久年間(1861~64)の宿帳も残っているので、当時から船宿をやっていたようだ。
案内されたのは頼んでいた通り、表の道に面した中央の部屋。今の建物の建築年を聞くのを忘れたが、明治19年に直江津駅が開業しているので、その頃に駅前旅館・商人宿としての建築だろうと思う。
かって日本中の鉄道駅前には駅前旅館が多く並んでいた。大正14年頃の直江津駅前辺りの光景を描いた絵図が旅館の廊下に飾られていた。その中に附船屋旅館として描かれている。他に大正13年には鉄道指定旅館の申請願の書類も飾られていた。
でも、駅前旅館は次第に姿を消し、今では殆ど見られないが、この直江津駅前には今でも5~6軒の駅前旅館が並んで珍しい光景を展開している。
しかし、流石に食事を出すとなると人手がかかるので、夕食なしの朝食のみの提供であった。旅館の切り盛りは5代目という女将一人で、6代目の女性が少し手伝っておられた。
旅館はビジネス客を対象にして賑わっている様子で、6代目夫婦とその子供や猫の姿が頻繁に見られた。
風呂に入ろうと扉を開けると、黒い猫が飛び出してきたのには驚いたが、旅館の経営者の生活の一部と思うと微笑ましい。
朝食を食べた部屋に立派な盆栽の松が飾られている。誰が世話しているのと聞くと、7年前に亡くなった主人が造っていた盆栽とのこと。今は女将が盆栽クラブに入って、懸命に維持に努めているが、維持ができないので、年々少しずつクラブの方に貰って貰っているとのこと。でも手入れのできた立派な盆栽が食堂に飾られていた。宿泊客の食事が済めば、外の盆栽棚に戻すそうだ。
この旅館のある辺りは、多雪地帯だから雁木が多く残っている。残すように申し合わせが出来ていると近所の方から聞いたが、真偽のほどは判らない。
附船屋の雁木の天井も立派なものであった(写真)。多くの所はボードなどで覆ったものが多いが、この附船屋の雁木はこの辺りでは一番立派なものであった。
(2016.9.6宿泊)

泊った部屋

泊った隣の部屋

奥に続く階段と廊下

玄関

玄関の夕景

玄関前の雁木 見事な雁木だった。

泊った部屋から見た外の風景 右に見えるのはJR直江津駅

大正13年の鉄道指定旅館の申請書

大正14年頃の直江津駅前 画像中央右に附船屋旅館の文字が見える
 
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