東京都
帝国ホテル東京
東京都千代田区内幸町1-1-1
 電話 03-3504-1111

帝国ホテル東京の本館とタワー館

帝国ホテル東京の夜景

帝国ホテル東京のメイン入口

 帝国ホテルは1890年(明治23年)に海外からの賓客を迎える「日本の迎賓館」として、東京日比谷の地に開業したもの。
初代帝国ホテルは1890年竣工、渡辺譲設計の木骨レンガ造の3階建、客室数約60だったが、1919年(大正8年)失火から全焼してしまった。
1923年(大正12年)に竣工したライト館はフランク・ロイド・ライト設計、鉄筋コンクリート及びレンガコンクリート造、地上3階(中央棟5階)地下1階、客室数270であった。1945年(昭和20年)の東京大空襲では焼夷弾により総床面積の約4割が被害にあった。終戦と共に帝国ホテルは米軍に接収され、そこで大規模な修復工事が行われて復旧した。
占領が終わって日本を訪ねる外国人が再び増えはじめことに伴い、1954年(昭和29年)にはライトの本館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成、1958年(昭和33年)にはその横に地上10階地下5階、客室数450の第二新館が完成した。
1970年(昭和45年)ライトの本館を取り壊して、新本館が完成した。これが今見られる本館で、地上17階地下3階、客室数772の建物。ライト館の取り壊しが1964年(昭和39年)に発表されると、震災にも空襲にも耐えたこのライト館の取り壊しの反対運動が起こった。地盤沈下などで柱が傾いていたが、それよりも都心の一等地を占領する巨大な建物の客室数がたったの270では話にならず、取り壊して新本館が建設され、ライト本館の玄関部分は博物館明治村(愛知県犬山市)に十数年の歳月をかけて移築再現され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。
そして本館の裏側の第一新館・第二新館を取り壊して1983年(昭和58年)に完成したのがインペリアル・タワー(現帝国ホテルタワー)で、地上31階・地下4階、客室数は361(ホテルフロアは20~31階)と変遷の歴史である。

そして今でも日本を代表する高級ホテルの一つであり、ホテルオークラ、ニューオオタニとともに「ホテル御三家」と呼ばれることもある。

ひょんなことから「帝国ホテル東京の本館」に泊ることとなった。それも食事付での話。大丈夫!!?と云うのが本音だった。フロントでカードキーを受取り、廊下にあるドアーと部屋のドアーをカードキーで開けて部屋に入る。7階という低層階のためか、目の前の日比谷公園も一部しか見えないが仕方ないか。部屋を出て館内を歩くと、客室の有る宿泊区域は静かな区域であるが、廊下のゲートを出ると、黒いビジネススーツに身を包んだ現代の侍達が行き来するビジネス戦線そのもののようだ。コーヒーでもと思いラウンジに入ると、黒いビジネススーツの集団が戦々恐々と、ラフなスタイルの私など場所を間違えたと思うほど。
同じことが夕食場所の本館17階のインペリアルバイキング サールでも。座った席の周りで、談笑・歓談されているが、黒いスーツ姿の男女が。どの集団とも年令には開きがある集団ばかり。上下関係・利害関係が絡んでいるのだろと想像しながらの食事だった。
朝食も同じ17階のインペリアルバイキング サールであった。朝は流石に黒のビジネススーツは見られず、案内された席は窓際だったので、外の景色を十分堪能できた。ビルの谷間に東京駅や国会議事堂も皇居も見られる場所だったので満足満足。

泊った「帝国ホテル東京」は私の企画の「旅籠宿に泊る」とは少しかけ離れるが、古くから日本の迎賓館として賓客を受け入れ、今も、これからも”おもてなし”を追及され、寛ぎの場、ビジネスの場を提供し続けられんことを願って私の特別な記載としたいと思います。
(2018.03.06宿泊)

本館の泊った部屋

泊った部屋から見た景色

泊った部屋から見た夕景

本館正面のロビー

本館17階のベーター前

本館一階のラウンジ

本館17階のインペリアルバイキング サール

愛知県犬山市の博物館明治村に移築された帝国ホテル本館の玄関部分

愛知県犬山市の博物館明治村に移築された帝国ホテル本館の玄関部分

愛知県犬山市の博物館明治村に移築された帝国ホテル本館の玄関部分

愛知県犬山市の博物館明治村に移築された帝国ホテル本館の玄関ロビー部分

初代帝国ホテル(帝国ホテルのHPより)

フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル本館の移築前の姿(帝国ホテルのHPより)
 
旅籠宿に泊る東日本に戻る