揖斐川町
谷汲温泉
立花屋
岐阜県揖斐川町谷汲徳積311
電話 0585-55-2121

立花屋前景

立花屋夕景

玄関入口

 揖斐川町谷汲山華厳寺門前町の仁王門前に立花屋旅館がある
西国三十三ヶ所観音霊場巡りの巡礼が行われはじめたのは室町中期といわれている。
「新撰美濃志」には華厳寺の「門前に茶店多し」とあり、木賃宿も多く、富岡屋・えび屋・大枡屋・小枡屋・かめ屋・合羽屋・銭屋・住吉屋・小村屋・北村屋・ふじ屋・竹屋などが軒を並べていたという。
今も門前町には料理旅館・飲食店・土産物屋などの商店が参道に並び、縁日や休日には参拝者で賑わう。
もう、40年程前に秋の紅葉を求めて、25年程前に春の桜を求めて訪ねたことあるのですが、駅からそんなに歩かなかったと思ったが。平成13年に名鉄谷汲線が廃線になり、今はJR樽見線が樽見鉄道になり、その谷汲口駅からバス便が。
今回は丁度、新緑時に訪ねたので、綺麗な新緑のトンネルを通ることができた。
さて、立花屋旅館は華厳寺仁王門前に ある。江戸期の木賃宿から出発したのかは不明だそうだが、今から約190年前、江戸後期より旅籠旅館を運営していたようで、ハッキリと判っているのは明治7年に梅田文男により立花屋旅館が創業した。多くの西国三十三ヶ所観音霊場巡りの巡礼者が訊ねていたが、大正15年谷汲鉄道が黒野から谷汲間を開業したことにより、巡礼者が大きく増加し、門前町も賑わった。
案内されたのは、玄関入って中庭の左側の建物の2階、聞けば昭和33年建築の建物。部屋の床の間に菊花石が飾られていたのにはビックリ。立花屋旅館は中央にある大きな中庭を囲むように周りに客室や調理場やプライベートな部屋が配置され、廊下で回廊のように繋がっている。
一番古い建物は明治17年建築の、中庭を隔てた玄関ロビーと反対側にある平屋建ての食事室の菊の間・桜の間の2室で、桜の間で夕食と朝食を頂いた。
今は6代目だそうで、女将に部屋に菊花石が飾られていたねと云うと、チョット心配だからそろそろ仕舞をうかと考えているとのことだった。当然でしょうね。
何時から谷汲温泉になったかは、発表されてないので判らないが、立花屋の創業者のお父さんの療養のために掘ったら、温泉が出てきたとのことだから、歴史はそれほど古くないようだ。
(2019.5.24宿泊)

泊った部屋

泊った部屋

明治17年建築の食事室

明治17年建築の食事室

別の部屋

別の部屋

食事室前の廊下

泊まった部屋の前の廊下

食事室前の廊下

食事室の欄間

食事室の釘隠し

泊まった部屋に置かれていた菊花石

食事室の説明

先々代の趣味のカメラ

芸能人などの来訪写真
旅籠宿に泊る東日本に戻る