松阪市
鯛屋旅館
三重県松阪市日野町780
 電話 0598-23-1200

鯛屋旅館の前景

鯛屋旅館の夕景

鯛屋旅館の入口

 江戸期の松阪は5万4千石余の紀州藩領でしたが、在住した武士の数は和歌山から出向してきた城代など僅かで、松阪は政治色の薄い城下町だった。このため江戸期を通して城下町でありながら商人の町として栄え、伊勢神宮への参宮者で賑わう宿場町としても発展した。
「鯛屋旅館」は江戸中期の文化・文政(1804~30)の時代に、お伊勢参りの旅人宿として、旧伊勢街道沿いに創業したもので、創業200年にもなる老舗旅館です。平成元年に旅館前の旧伊勢街道の道路拡張のため、約100年前の建物を外観をそのままにして、後ろに移築したものが今の建物の姿です。旧伊勢街道に沿って建っていた松阪の木造の建物の大部分は鉄筋コンクリートの近代的な建物に建て替わってしまいましたが、鯛屋旅館では古い外観を残しての移築としたようです。千本格子・格子戸の外観を良くぞ残してくれたと感謝の宿泊でした。
鯛屋旅館の間口は写真で御覧の通り余り広い間口ではありませんが、奥は長く奥に奥にと続く部屋割りの旅館でした。
玄関を入ると土間の踏み石の上に下駄のような木製のものが置かれている。品名はどういうものだろうか。女将に聞くと、靴や草履を履くときに、片方の足をこの上に置くと履きやすいのでとの説明。確かに私も高齢になり、何処かを持たないと靴が履けない状態になっているので、有難いものだと思った。
今この鯛屋旅館は昼はランチで松阪牛のすき焼きやステーキを、夜は宿泊者に松阪牛の料理を出される繁昌している旅館。
普段私は余り食べるものも、温泉にも関心が無く、各地の古い旅館を泊まり歩いていて、建物ばかりに関心が行く宿泊ですが、今回の宿泊はすき焼きが標準コースの様だったので、上等のもので無かったがすき焼きにした。食事の準備ができましたと呼ばれたので、食事場所に行くと一人旅の私一人に一人の仲居さん(従業員)が付いてすき焼きの世話をしてくれる。話を聞くと松阪でのすき焼きはこの様に一つの鍋に一人が付いてお世話をするそうで、仲居さんに恐縮して頂いた食事だった。当日の宿泊者は家族連れと一人旅の女性も入れて10名以上で、女将によると仲居さんは10名いるとのこと(当日は何名かは不明)。この程度の大きさの旅館で仲居さんが10名とは、すき焼きの世話が大変なんだろうと思う宿泊だった。
(2016.5.4宿泊)

泊った部屋

別の部屋

別の部屋 床柱は桜(床の前面の木の説明も聞いたが失念)

街道に沿った部屋(この部屋に泊りたかったが昼のランチと夜は一人ではと断られた)

急な階段(階段が3ヶ所にあったが、どれも急勾配だった)

入口の夕景(松阪牛のお店と宿との併用旅館)

食事場所から見えた中庭

入口の上がり框前の踏み石に置かれていた足台??

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