大仙市 強首温泉 |
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樅峰苑 | ||
秋田県大仙市強首字強首268 電話 0187-77-2116 |
樅峰苑の正面 |
樅峰苑の夕景 |
正面入り口 |
豪農の館に泊まってみたいとの思いで、旅籠宿に泊るという企画の範囲外にも拘わらずやってきたのも。 強首(こわくび)温泉はあまり知れ亘ってない温泉。それもその筈、昭和39年に上野台地区で石油採掘中に石油ならぬ温泉が湧き出したものである。 樅峰苑(しょうほうえん)を所有する小山田家は、初代秋田藩主佐竹義宣が常陸水戸から秋田に移封されたとき、藩主を慕ってこの地にやってきたことからはじまります。庄屋をはじめとして地域行政に携わり、新田開発にも尽力した。 明治初期の地租改正後、小山田家が大地主として急速に成長し、12代目当主小山田治右衛門の時には、この地域(現1市3郡)で450町歩の土地を所有し、明治20年の地価は一万円を超えた。明治23年の地租額は789円にも達し、強首村の46%で、近隣諸村でも多くを占めていた。明治39年がピークで1,584円、大正7年は1,283円であった。 今の樅峰苑の建物は大正6年に完成したもので、大正3年に甚大な被害を出した「強首地震」の教訓から、お抱え大工を京都に一年間派遣して、耐震技術を学ばせて耐震構造になった家屋を完成させたもの。 16.3mもの杉の長材を使った廊下、3部屋通しの長押、鉄刀木(たがやさん)の床柱や床框などの、現代では入手できない建材が各所にさりげなく使われている。16代目当主の小山田 明さんによると、当時、鉄刀木は流通していなくて、外国から取り寄せたので、この床柱と床框だけで、普通の家が一軒建つ費用だったとのこと。平成11年に国の登録有形文化財に指定され、平成22年には日本文化遺産を守る会の会員宿となった。 珍しい構造として、一階の4部屋の中心にある柱が取り外せる構造になっていることだが、平成13年にテレビの取材で一度柱を取り外したが、元に戻すのに大変な目に遭ったので、もう2度と柱は外さないと仰っておられた。 案内されたのは、2階で縁側から大仙市指定の天然記念物の樅の大木が見られる部屋だが、床の間は付いていなかった。 さて、肝心の「樅峰荘」の創業時期なのだが、15代当主(先代)が亡くなり、未亡人となった奥様が収入を得るために、昭和41年にヘルスセンターとして開業されたのにはじまる。温泉は少し前に上野台地区で石油を採掘していた時に出てきた温泉を引き湯して営業をはじめた。結婚式場になったり、農業団体・役所関係・秋田空港建設工事関係の宴会などで潤ったそうです。今敷地内の源泉は9年前(平成20年)に掘り当てたもので、豊富な源泉に恵まれて、4ヶ所ある温泉浴場全てが掛け流しと贅沢な温泉利用。温度49℃・毎分240リットル以上の自噴したお湯がそのまま各浴槽に絶えず注がれている。何とも贅沢な温泉で「日本秘湯を守る会」の会員旅館でもある。温泉の成分はナトリウム塩化物強塩泉といい、やや茶色く濁り海水を少し薄めたような味がした。温泉と云っても無色・無臭・無味なことが多い。これでは温泉と云っても水道水と変わらないが、この樅峰苑の温泉に入ると、温泉に入ったと思えるので充実感が十分味わえる。 庭に出ると、庭園の手入れが殆どされていない。天然記念物の樅の大木も雑草の中。少なくとも雑草程度はひいておいたらと思ったが、説明板があり、自然を演出するために、わざと手入れはしていませんとある。でも、せめて正門から玄関までの通路の除草位はやってほしいと要望する。そんな訳で庭の写真は撮らなかった。 朝食時に女将に、雄物川が横を流れ水害が多いのでしょうと話しかけると、今この地域は輪中で守られているので安心だが、少し前までは水害が多かったとのこと。昭和22年のキャサリン台風時には家屋も1.5mも浸かった。その時から輪中(大きな堤防で囲み浸水を防ぐ)が計画されたが、完成したのは50年も経った平成14年で、以後浸水水害は無いとのこと。完成までの昭和63年には庭まで水が来たそうだ。今の輪中の中にヘリポートが設けられていて、輪中の外が水で溢れて、この輪中が孤立した時にはヘリコプターで救出してもらえるので安心とのことだった。今年も雄物川の氾濫のニュースがあったがという問いには、避難指示がでて全員避難したそうだ。その日は偶々宿泊客が居られなかったのでよかったとの話だった。 (2017.9.13宿泊) |
泊った部屋 |
泊った部屋 |
泊った部屋の入口 |
真ん中の柱が取り払える特殊な構造の部屋 |
柱の撤去できる部屋の「かつら」の間 |
樅峰苑最大の売りものと仰っていた16mの杉の廊下 |
客室 |
客室 |
正式な門 |
見事な外観 |
最近掘り当てた掛け流しの湯「こもれびの湯」 |
階段 |