八戸市
新むつ旅館
青森県八戸市小中野6-20-8
電話 0178-22-1736

新むつ旅館の前景

新むつ旅館の夕景

入口玄関

  「新むつ旅館」は明治期の遊郭建物で、国の登録有形文化財に指定されている。登録有形文化財に指定された遊郭建物で旅館・料理屋として生き残っているのは、有名なところで大阪市飛田新地の「鯛よし百番」・伊勢市古市の「麻吉旅館」・高山市の「旅館かみなか」とこの「新むつ旅館」があるが、「鯛よし百番」は料理屋で泊まれない。京都市の旧島原遊郭に「輪違屋」があり、京都市の登録文化財に指定されているが、今でも現役の置屋兼お茶屋であり、一般公開はされていない。他にも全国で遊郭建物がいろいろと文化財の指定を受けて生き残っていますが、その中でも「新むつ旅館」はトップクラスの現役旅館です。
八戸の遊郭の起源は江戸時代と云われ、東廻り航路の船乗りが八戸湊に寄港することで、東北屈指の歓楽街として小中野新地は隆盛を極めていたそうだ。
前置きは長くなったが、「新むつ旅館」の前までくると、唐破風の玄関に太い格子を備えた古風な建物が迎えてくれた。「こんにちわ」と玄関から声をかけると、入口から真直ぐ奥にのびる廊下から笑顔の女将が愛想良く迎えてくれた。旅館の入口に自転車が2台置かれているのには驚いたが、それよりももっと驚いたのが、入口土間を上がると、古風な黒い階段と渡り廊下で複雑に構成された空間。更に天井には天窓まで備わっている。Yの字になる階段は見事なもの。案内されたのは頼んでいた通りの、前の道に面した2階の2部屋続く和室で、床の間のある2部屋併せて20畳もある部屋で釘隠しも備わっていた。一人で使うのは気が引ける感じがした。
予約時にエアコンは無いとのことで大丈夫かと心配だったが、写真に写る扇風機も使う必要がなかった。
古い建物の客室は全部で4部屋で、Y型階段を上がった奥側の部屋も2室続く部屋で年配のカップルが泊っておられた。
「新むつ旅館」の創業は明治30年と云われている。明治31年の貸座敷の記録が残っていて、明治32年の遊客帳が1階広間で無造作に公開されていた。中味の写真も撮ったが公開は控えるとして、遊客の住所・氏名・年齢や服装・身長など、相手した相方や何時帰ったか、幾ら払ったかまで記載されていた。見ていると20歳から25歳までの遊客が殆どで、圧倒的に近くに住む方で、帰った時間は午前2時から午前5時頃までが多く、費用は1円~1円90銭位まであった。古いこととはいえ曽爺さんの代の方々だから、こんな遊客帳を宿泊者に見せて大丈夫かと思ってしまう。
小中野遊郭の全盛期は明治から大正期で、今の小中野8丁目のクランクになった辺りから西の浦町にかけてが遊郭の中心地で、貸座敷が39軒・娼妓160人ほどいたそうで、余りにも繁昌し過ぎた結果、今の「新むつ旅館」辺りまで遊郭が広がってきたときに「新むつ旅館」が建ったのだろう。この通りだけでも25軒の料理店や貸座敷があったそうだ。
泊った部屋の外側は細い縁側になっているが、かっては娼妓が通る廊下だったのだろう。広い正式な廊下や階段はお客が、外側の細い廊下は娼妓や料理を運ぶ従業員が通るのが普通だった。この細い縁側の外側の雨戸を開けようと試みたが、外から丸見えになり女将に文句を言われそうに思ったので、雨戸は開けなかった。
夕食・朝食は奥の新築の棟で頂いた。夕食時には女将とそっくりな娘さんも手伝っておられた。2年前にご主人が亡くなったと女将の話で、話好きな女将で4代目とのことで、女将が結婚したのは昭和37年とのことで、最初はここが旧遊郭だとは知らなかったと仰っていました。
食事中は食事場所の一角に椅子を置いて、私の話し相手をして頂き、この旅館のことをいいろいろ話して頂き楽しく食事ができたこと感謝しております。
明治30年の創業時は「新陸奥楼」という遊郭で、創業時に建てられた建物を維持しながら今になるそうです。戦後すぐに唐破風の玄関に改装されたのが今の姿だそうです。そして昭和33年の売春防止法の施行により遊郭が無くなり、名前も「新むつ旅館」と改めて旅館業として再出発したそうです。旧遊郭だった建物も建て替えられて殆どなくなり、旅館として生き残っているのはこの「新むつ旅館」のみになってしまったとのこと。翌朝、旧遊郭の中心地の浦町からクランク辺りを歩いたが、明らかに遊郭だったと思われる建物は極僅かしか見いだせなかったし、場末の飲み屋街として細々と生き残っている所も寂れていた。
(2017.9.12宿泊)

泊った部屋

泊った部屋(二間続きの部屋)

泊った部屋の縁側だが、雨戸は開かなかった

別の部屋

意匠を凝らしたYの字階段

2階廊下から見た一階部分

一階の広間から見た入口部分

奥の階段(この階段は改造されてなくて急勾配)

一階入口広間の天窓から差し込む光

旧遊郭だった当時の遊客帳、一番古いのは明治30年

泊った部屋の釘隠し

旧遊郭の名残か 男根が飾られていた
 
旅籠宿に泊る東日本に戻る