入善町 |
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清八楼 | ||
富山県入善町入善6265 電話 0765-72-1108 |
清八楼の前景(右本館・左新館) |
清八楼の夕景 |
清八楼の入口 |
旧JR北陸本線(現あいの風とやま鉄道)入善駅近くに「割烹旅館清八楼」がある。駅前にあるので商人相手の駅前旅館かと思ったがそうではなかった。 創業は明治中期といい、この場所に移ったのは明治の末という。創業時から割烹旅館としての生業で、そのまま今に続いているそうです。明治中期の創業時には、今の入善町入善の中町の西の方に店を構えたそうです。明治末に旧JR北陸線の入善駅の開業にあたり、駅周辺の敷地を占めていた入善神社が今の場所に移転した時に、境内の一部を譲り受けて、店を移転したものが今の「清八楼」とのことです。 入善駅で電車を降り、2~3分歩くと清八楼に着く。玄関扉は瀟洒なものだが、一歩中に入ると重厚で格式あるロビーが現れる。天井は建物構造材の梁と柱が露出し、床の木材が光っているのは見事なもの。声を掛けると元気の良い女将が愛想よく現れて、本館の横、平屋の新館の奥の部屋に案内してくれた。暖房も利かして暖かくした部屋、心遣いが感じられる。天井の高い二間続きの角部屋の雪見障子を開けると、池泉回遊式の庭園が目の前に広がる。既に寝床が敷かれていたが、枕元に見事な丸太をそのまま生かした木製の衝立が。この新館は昭和22~23年位に建てられたもので、戦争前から頼んでいたが実際に建てられたのは戦後になってしまったとのことだった。 因みに本館は明治末期に移転しときに建てられた建物で、修復補修改装しながら今の状態になったとのこと。 夕食と朝食は隣に部屋で頂いた。実は女将に各部屋を案内して頂いた時に、隣の部屋にも暖房が入っている。他のお客さんが泊まられるものと思っていたが、私の食事のために早くからエアコンを入れて温めてくれていたもの。 4月だから暖かいと思って訪ねたが、前日には雪が降って寒い廻りの時期だったそうだ。 食事を一品ずつ運んでくれたのは女将とその娘さんで、女将で4代目とのこと。後継ぎがね……と最大の悩みだそうだ。 料理担当はお主人で、話すと大変穏やかな方だった。美味しく頂いたが正直私は余り料理に付いては判らないので、割烹旅館に泊まりながら、料理のことが判らない情けなさを感じた宿泊だった。 この清八楼さんは、料理を主にして居られ、地域の宴会などを引き受けられて、活気ある料理旅館であった。 翌朝、朝食前に旅館の周りと庭園内を歩く。庭園内の古い木は旧入善神社当時からの木とのことだった。また、清八楼の入口らしきものが3ヶ所もある。女将やご主人に聞くと、庭に繋がる土蔵の横の門は庭の造作のための門で、もう一つは浄土真宗大谷派(東本願寺)の門主が少し先の養照寺を訪ねた時、食事を「清八楼」でされることになり急遽造った門とのこと。その横にある清八楼の建物に囲まれた鳥居の有る小さな敷地は、入善神社が移転したときに、旧の敷地に少しは残さないとと残った敷地とのことだった。 (2018.4.9宿泊) |
泊った部屋(新館)テーブルの上に広げたものは、大正時代の大福帳と料理帳(女将が見せてくれた) |
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泊った部屋、机の上には見ていた大正期の料理帳と大福帳が |
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泊った部屋 |
泊った部屋の書院上の彫刻 |
泊った部屋の欄間(井波彫刻) |
泊った部屋から見た池泉回遊式庭園 |
新館の廊下、奥右側が泊まった部屋、手前丸い意匠の有る部屋で食事した |
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隣の食事した部屋 |
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ロビーの天井部分 |
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入口を上がったところ、左側はロビー (板の間の床板が見事) |
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玄関入口を内側から見ると |
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食事した部屋の意匠越しに庭を見ると |
本館2階への階段 |
本館2階の大広間 |
本館2階の大広間 |
本館2階大広間横の廊下 |
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大広間から廊下を見る |
大広間の欄間 |
大広間にあった釘隠し |
ロビーにあった柱時計と新・旧テレビ |
中広間の廊下越しに庭を見る |
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中広間 |
新館のトイレ(床板が欅の一枚もので見事) |
池泉回遊式の池越に見た新館 (手前の部屋で食事、奥の部屋に泊る) |
新館(手前平屋)と中広間の有る建物 |
池泉回遊式庭園から見た建物群 |
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真宗大谷派の門主来訪のために造られた門 |
庭を維持するための門、左側は土蔵 |