大多喜町
大屋旅館
千葉県大多喜町新丁64
電話 0470-82-2020

大屋旅館の正面

大屋旅館の夕景
 
大屋旅館の玄関入口 

  房総半島の東南部に位置する旧大多喜城下は江戸期まで、交通の要衝で軍事・政治の中心であった。
町並みを訪ね最初に見えたのは大多喜城。昭和50年に復元されたもので、県立中央博物館であった。
旧大多喜街道沿いの猿稲・久保・桜台・新丁などが大多喜町の中心部。中でも久保には渡辺家住宅(重要文化財)をはじめとして、大手門の材料を基に明治5年に移築された伊勢幸酒店・土蔵造りの釜屋・商い資料館などの土蔵造り家屋が残り、新丁には造り酒屋(豊乃鶴酒造、登録文化財)さんや、今回泊った旧旅籠の大家旅館がある。
宿帳などによると、当館は元禄の昔から大多喜城下の旅籠として就業しているようですが、創業としては江戸時代後期で、今の若女将で10代目になるそうです。
主屋は明治18年の建築で登録有形文化財に指定されているもの。他に奥の部分に大正期に建てられた
大広間や客室が連なる。玄関部分の階段は急勾配でありながら、手摺が付けられてないのは、昔のままの状態で良いと思うが、泊っている間、階段の登り下りには苦労した。
入口玄関部分の天井や階段部分に古くからの構造材が見られ、木製の下駄箱や長火鉢も玄関に備わっていて、古くからの旅籠宿を演出していた。
宿では若女将一人で奮闘されていたが、大女将も長い間、梅の実を掃除・選別しながら私の話し相手と案内役になってくれました。
只、普段は宿泊客を表の主屋に泊めないようで、私が表の部屋を指定しての宿泊だったから、チョット大変だったみたいです。奥の部屋にはエアコンも設置されていたが、表の主屋にはエアコンがありませんでした。
また写真を写すために、表の部屋の電気を自分で点けることは多いが、普段は閉めっ放しの雨戸を、自分で開けたり閉めたりしての写真撮影になったのは珍しいことだった。
(2015.5.25宿泊)

宿泊した部屋

宿泊した部屋

玄関奥にある階段

玄関奥から玄関を見る

大正時代に建った大広間の床の間

中庭

泊った部屋の外側縁側と立派な桁、雨戸は閉めた状態

階段は黒光りしている

入口玄関に有った旧下駄箱

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