米沢市 白布温泉 |
||
湯滝の宿 西屋 | ||
山形県米沢市大字関1527 電話 0238-55-2480 |
西屋の前景 |
西屋の夕景 |
玄関入口部分 |
正和元年(1312)開湯といわれる白布高湯温泉は、福島市の信夫高湯(現高湯温泉)、山形県の最上高湯(現蔵王温泉)とともに、奥州高湯の一つに数えられ、昔から「三湯湯治」と呼ばれて、三高湯温泉全部に宿泊すれば100年長生きできると云われて賑わっていたそうです。 白布高湯温泉は正平年間(1346~1348)には、もう、領主から湯守が命じられている由緒ある温泉で、その頃に西屋を創業したと思われる。米沢藩の武将直江兼続の命により秘密に白布で鉄砲製造にあたった鍛冶職人の寝食の世話をしたとの記録が西屋の残っているのが、一番古い記録です。 江戸時代初期には湯屋三軒が認められていたが、江戸期には洪水に合ったり、火災にあったりと苦難を乗り越え、明治9年には三旅館が認可されている。その三旅館とは「東屋」・「中屋」・「西屋」の3軒である。 この3軒の旅館は共に茅葺屋根の旅館で、見事な景観を呈していたのですが、平成12年3月25日の火災で、東屋旅館と中屋本館が全焼し、西屋旅館が類焼を免れたので、今に茅葺屋根の旅館が見られるのです。 米沢駅から一人貸切状態のバスに揺られること約40分、西屋の茅葺屋根の建物の横を通って玄関入口へ。古めかしい感じの入口の奥の別の部屋にフロントがある。案内されたのは階段を2階に上がった奥の棟の一番手前の「暁」という部屋。 旅館建物は江戸期建築(1806年頃)の茅葺屋根の建物と、大正末期に建てられた本館建物、そして比較的新しい宴会場と離れの建物から成り立っている。入口横の茅葺屋根の建物の奥に、もう一棟の茅葺屋根の建物が在ったが、私用として使われているようだった。登録有形文化財に指定されているのは、茅葺屋根の江戸期(1806年頃)の建物と、大正末期建築の本館の建物だそうです。 泊った部屋以外の部屋も見せて頂いたが、数寄屋造り等の凝った意匠は余り見られず、シンプルな意匠の部屋が多かったように思う。でも、江戸期建築の茅葺屋根の建物のフロントやロビー部は天井の黒く大きな構造材を見せた見事な骨組が見られた。 私は古い建物を求めての旅館巡りですので、温泉についても・食事についても殆ど書かないのですが、この西屋の「湯滝の湯」は凄いので少し記載を!!。この西屋に着いた時から「ザー」という音が旅館内の何処にいても聞こえるのです。近くに清流も流れていないしと思っていると、沢の水で温度調節された温泉の湯が3本の打たせ湯の滝として湯船に落ちている音だったのです。それが男湯も女湯でも、個室の温泉でも豪快な流しっぱなしなのです。天然噴出した高温の温泉(約60℃)が湯守りの若女将の努力によって温度調節されて流れ込んでいるのです。この豪快な湯滝に打たれるだけでこの温泉に来た値打ちがあります。 ご主人は比較的若い方(50歳位??)で、19代目と仰っておられました。当日の宿泊者は7~8組で、一人宿泊は私一人でした。 (2018.8.27宿泊) |
泊った部屋 |
|
泊った隣の部屋「蒼風」 |
|
一番凝った意匠が見られる??「吾妻」 |
|
フロントから続く廊下 |
|
玄関入口を内側から見ると |
|
茅葺屋根の建物内のフロント部分、天井の構造材美。 |
|
茅葺屋根の建物内のフロント部分、囲炉裏・天井・神棚など |
|
正面入り口 |
|
談話室 |
|
この廊下の下を豪快に流れる浴槽から溢れたお湯 |
|
浴槽に落ちる湯滝(落口は良く見えませんが、下の飛沫を見てください) |
|
階段 |
フロントの天井 |
フロントの一部 |
看板猫 |